「つばぜり合い」「切羽詰まる」
次第に聞かれなくなってきている言葉です。
刀の鍔(つば)といっても、切羽といってもすぐにイメージできる人が減っているからでしょう。
鍔の需要は?
「居合をする方などが求めてくれます。」

工芸品としても喜ばれるそうだ。
確かに江戸期に入ると刀は実用性を失い、武士にとって権威的・装飾的なものとなる。
無論すでに「安土・桃山時代」からもそうした傾向は広がるが、パクス・トコガワーナのもとでは、その傾向は一層強まる。

刀の鞘も派手になり、刀身のそりも大きく細身になる。重い刀は戦いには必要でもただ持ち歩くには不便だ。
小柄(こづか)が付き物だが、これにも装飾が施さる。目釘の頭を隠す目抜きも本来の位置からずれて目立つ場所へと動いて飾り目抜きになっていく。

私の義弟は地元で祭りの笛を吹く。ずいぶん腕がたって若いものに笛を教えている。その彼が目抜きを笛につける装飾品として好んで用いている。

作業をじっと見ていると実に静かです。
ここには別の宇宙があるかのように静かです。
それは仏師さんの場合も同じでした。


こういう静けさは嫌いじゃありません。
でも私がかき乱しているかもしれませんね。
テーマ:ある日の写真 - ジャンル:写真
- 2014/02/04(火) 00:01:22|
- 伝統工芸
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soujyu2さん、こんにちは
こんなにお若い方が鍔を作っていらっしゃるのですね。
鍔を削る音だけが聞こえ、ピンとはりつめた空気を感じます。 そして、いつもながら職人さんの存在に圧倒されます。
- 2014/02/04(火) 17:04:02 |
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- kantere #-
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コメントありがとうございます。
京都工芸大学校というのがあってそこで若い人たち(いくら年齢の行った人も含めて)がさまざまな工芸分野を学んでいます。
若手の育成策は、工芸作品の需要喚起≒人々の文化的生活水準の向上と相まって進まないと、本人たちにとって難しい進路選択になってしまいます。
個人的な創意工夫はもちろんですが、業界としても頑張る必要を感じます。
そして、小泉政権が一部の人が特別に潤う経済の仕組みを加速させて以来、経済政策は基本的にそちらを向いています。アベノミクスとかいう政策もまたしかりです。景気回復をただGDPの変化や株価でだけ測っているようでは、こうした工芸分野は先細りしていくしかないなあと感じます。
職人の仕事に視線を向けていくことで何ほどかの役に立てばなあと思います。
- 2014/02/05(水) 08:06:02 |
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- soujyu2 #-
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