私の卒業した高校は旧制中学を引き継いだ学校でしたから、新旧含めれば相当多数の卒業生を出している思いますし、新制になってからの人数も多いことだろうと思います。
私は学校で行われる同窓会にも出席していませんし、同窓者の住所録の購入もしていませんから、卒業生の動向にとても疎いのです。
ある日いつものように寺ブラをして「きむら」というギャラリーに足を踏み入れました。
一通り作品を見せていただいて、壁に張られたプロフィールを一瞥すると・・・。(私は先入観を持って作品を見たくないので、ある程度実績のありそうな方については、帰り際にしかプロフィールを見ないように心がけています。)
プロフィールの名前の下には「静岡県〇〇市××」と出身地が書かれていました。
何と私も〇〇市の生まれなのです。思わず振り返って作者の方の顔を見て「〇〇市のご出身なのですね。私も同郷です。」と話しかけました。

すると「そうなんですか?! では、高校はどちらですか?」
・・・・郷里が同じだと聞けば、高校は?と尋ねるのに何の不思議もありません。が、私はこの質問に答える時にいつも一瞬躊躇するのです。・・・・
「IM(人によってはBNというのでしょう。)です。」「そうですか、私もIMです。」 ということでひとまずはいらぬ心配は消えたわけですが。

私の弟と同学年のかたでしたが、その頃できたばかりのコースだったため弟と同じクラスになることはなく、弟のことはご存じなかったようです。
(弟は不肖の兄と違って勉学においても優秀でしたから、多少の知名度はあったはずなんですが、同じ高校の中にコースを作るとこういうことになるのですね。学年集団というものが成立しなくなるのです。)

それからしばらく郷里のことや高校でのことを懐かしく話したのですが、旧制中学を引き継いだ学校によくある「自由な校風」の良い面を身につけられた囚われない自律した考えをお持ちの素敵な方でした。

私が卒業した年の入学という関係ですが、それだけでも私たちくらいの世代に対するイメージは「自分たちとはずいぶん違う」と感じておられたようです。それは意外でした。
私たちの学年は当時の京都の高校生に触発されて「制服廃止」の運動をしました。代議員会では私や数人の3年生の議論で大きく「廃止」支持が広がり、一旦は代議員会で三分の2の多数をもって「制服廃止」を学校に要求することとなりました。

ところが職員会議を経て、各クラスでの先生方の巻き返しで、次の代議員会では逆転して賛成は三分の一になってしまいました。一旦、議決されたことが代議員からの再議決の要求もないまま議題になり採決のやり直しがされるなどというところに当時の学校の姿がありました。(まあ、先生たちも頭を抱えたのでしょう。「伝統≒OBの圧力」も考慮しなければならないし、生徒が「教育の在り方、し方に口を出す」ことに対する抵抗感もあったでしょう。子供の権利条約を批准した今でも生徒が教育の内容や先生のあり方について当事者として発言することなど思いもよらないという教師や教育行政が普通に見られるのですから。)
ただ、当時の先生方にも立派な面があって、少なくとも「首謀者」にたいして圧力をかけたりすることもなく、また校長や職員会議の権力で生徒の決議を反故にするようなことはしなかったのです。
つまり主観的には民主的であろうとしたのだと思います。戦術的にも「火に油を注ぐ」愚は犯さなかったということでしょう。30歳になるかならないかの若い先生たちが頑張ったんだと推測します。
生徒の「制服廃止」の考えも底は浅いものでしたし、戦略も戦術もありません。ただ「戦後民主主義」の理想を漠然と「信じていた」ということでしかなかったのでしょう。ですから、容易に覆ってしまいました。
しかし、この方の在学中に「制帽」は「制」帽ではなくなったようです。
「先輩たちの奮闘の結果だと思っていました。」とは初めて聞いたことでした。

この方の生徒を見る目や、芸術教育の中で何を大切にするのかについてのお考えをうかがっていると、こういう先生に担当していただいたら授業も楽しいだろうなあと思わずには居られませんでした。
この方が指導する絵画教室の生徒さんたちもすぐ隣で展覧会をしていました。そして少しお話もうかがいましたが「自由に描かせてくれるし、スケッチ旅行も本当に自由で楽しい。」とおっしゃっていました。鈴木さんのお人柄の影響でしょう。
生徒さんといっても私と同世代か先輩の方が多いようですが。

また今度個展を見せていただくお約束をしてお別れしました。
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/09/02(月) 00:04:32|
- 絵画
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