この女性の方も豊かな声量で歌われる。

司会も兼ねておられるのですが、時々「みなさん聞いてください。耳を澄まして聴いてください。」と何度も言われる。
写真をご覧になってお分かりの通り今日は?日本人観光客が多い。
そのために日本語で「「みなさん聞いてください。耳を澄まして聴いてください。」とくりかえされるのだ。こんな日本語がスラスラ出てくるということは、これまで幾度もこの言葉を口にしてきたからに違いない。
歌い手が次の歌に向けて呼吸を整えているのに各テーブルのざわついた話声が途切れないのだ。ことに私の背中側のテーブルは、同胞としていささか恥ずかしかった。

日本人観光客は食事のついでに歌を聴いている気持ちなのだが、それはまるでBGMを聴く感じなのだ。あるいはカラオケに行って、誰かが歌っていても、「次に何を歌おうかな」とか「ねえねえ、・・・・」だとか、まるで歌に耳を傾けない、その習慣がもろに出ているテーブルがある。
プロの歌い手に対する尊敬がないように感じられた。他人の仕事に対する尊敬心とでもいおうか、敬意を払う空気がない。
ずっと奥にはイタリア人の客たちがいて、やはり楽しそうに歓談している。
しかし、彼らのテーブルに歌い手が行って歌う時には一斉にその歌に聴き入りともに歌っている。
このテーブルのみなさんに向けて歌うんですよ、というサインが出ても日本人観光客には反応しない人たちがいる。
このことは今日だけの現象ではないのだろう。
客の歌のリクエストがあればその場で応じる。
ただし知らない曲や、日本名で言われて戸惑うことも。

イタリアの歌手は、気持ちで歌う。 今日は何曲歌おうとか、何時までは契約だからという歌い方をしない。
客の反応が悪ければ、途中で引き揚げてしまうこともあるんだとか。

逆にお客の反応が良ければより一層気分が乗って歌うんだいいます。そしてアンコールも。

歌い手の方はすべてのテーブルに視線を送り笑顔を見せる。
やがて何度かこの方と目線が合い。

しばらくこういう状態で歌っていただいた。
そしてある日本の歌では、客も共に歌ったのですが、私がことさら大きな声で歌ったので、それが耳に届いたのか、ステージから降りてきて、しばらく一緒に歌っていただき、曲の終わりには・・・音が低くなっていくはずなのに、・・・カンツォーネでよくあるように・・・伴奏は次第に終わりに向けて音をあげていくので・・・私もそれに従ったのですが、この男性歌手が「そうだ、そうだ、その調子だ。お腹から声を出して。」とばかりに私のお腹を指先で押してきて、自分は歌うのをやめて私に歌わせたのです。
これには私も驚いて恐縮しきりでした。
なんてサービス精神が豊かなんでしょうね。
同席の皆様、お聞き苦しいことで失礼しました。
(⇔)

こうしてイタリア最後の夜も更けて行きました。
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/08/20(火) 00:02:19|
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