5月3日と4日に大阪府高槻市でJAZZストリートと銘打ってフェスティバルがありました。
ずいぶんと大きな規模で阪急、JR駅前から市民グラウンドまでの街中がJAZZ一色という感じでした。
バンドも、聴衆もごった返すほどで、「ゴキゲン」でした。
阪急高槻駅の高架下では、オープン・ステージがありました。
「立ち見」ですが、素晴らしい奏者たちとJYZZ好きの醸す盛り上がりは、実に心地いいものでした。
このステージの音響調整を担当されている方です。私は舞台上の演者奏者にはもちろんですが、ついこうしたスタッフさんに目がいきます。
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演奏者たちは、ステージに上がれるわけですが、こうしちゃスタッフは姿を消しています。
どれほど調整の腕があっても、演奏者たちや特別な関係者でもない限り、関心は持ちませんし、またその良しあしは分かりません。

しかし私たちが心地よく聞くためには、また演奏者が全力を出せるためには、このスタッフさんの調整力がぜひとも必要なわけで・・・。

またこの人たちの中でもこうした大きな企画の中に呼ばれるかどうか、またどのステージのミキシングを任されるかは、小さくない問題なのだと思います。誰の演奏のミキシングをするかなどを含めて、このスタッフたちの晴れ舞台でもあるはずです。

演奏者たちは大きなエネルギーを舞台上に吹きだして次から次へと入れ替わっていきます。
でもスタッフたちは、開幕ステージから全舞台の終了まで、弁当を食べ、水分を摂り、計画表をにらめっこしながらこのブースに詰めたままです。

演奏者が「今日のスタッフにも拍手を!!!」と大声で叫びひとしきり拍手が湧きあがっても、それは大概その演奏者のやさしい思いやりの心に拍手が送られたりしているものです。
その証拠にほとんどの人はスタッフに振りかえることもせず拍手し歓声をあげています。

まあ、それはそういうものだとスタッフも思っているかもしれません。
でも誘導員の質次第で会場の空気が代わります。スタッフの良質な働きなくして、良い音楽空間をは作れない、そう私は思っています。 そしてその中には「よい聴衆」も含まれます。
・・・・・私のようにシャッターを切ることしか頭にないような人間は、本来混じりこんではいけないのかもしれません。・・・

私はこうしてブログを書く時のほとんどの機会にJYZZを流しています。
すると、こうして「人を撮っている」のはその人の人生を見ていることと同じだなあなんて感慨にふけるわけです。
JAZZは人生を振り返らせる力をもつ音楽ですね。
撮らせていただいた写真をお送りする約束で名刺をいただいたのに、突然決まった中国行きの準備の中で紛失してしまいました。まことに申し訳ありません。
どうかこのブログからコピーしていただくか、カードに記載していますメールアドレスでご連絡いただけましたら、その返信に添付させていただくということでお許しをいただきたいと思います。本当に申し訳ないです。ごめんなさい。
- 2013/05/11(土) 00:03:07|
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