芸術系大学の卒業制作展は実に面白い。
無料で見せてくれるのだが、そこいらの遊園地や〇〇館などというところに1000円も2000円も出していくより、ずっと面白い。

作品は? 実はこの左右の場所に作品が置かれているのですが、・・・。
写真撮らせてくれない?とお願いすると、その作品の横にでも立ってくれるのかと思いきや、「小屋」の奥の、ごく狭い空間に、挟まるように坐ってしまいました。彼の大きな多尻の下には壊れかかった小さなイスが。とても彼の体重を支えられるようには見えないそのネットの破れたイスに・・・。

私は自分の学生生活の、少なくない部分を悔みをもって回顧します。
中高の時代から、大学生活は「デカンショ デカンショで半年暮らし 」という学生生活を夢見ていたからです。 デカンショでなくとも、研究や読書や制作で明け暮れて、寝ているときも起きているときも同じ服装でいる様な・・・。
彼は、そこに置いてある作品も作品ではあるが、自分の制作している全過程を作品として展示しているのです。
この「小屋」も周囲にある道具のいくつかも彼自身の制作物ですし、彼が探して手に入れてきたものなのです。
彼にとってはこの作業場そのものが作品だというわけです。 だからこそ彼は自然にこの道具に囲まれた空間に自分自身を収めたのです。 いいねえ!! 実に、いい!!

学生時代こそ「三昧」の生活をするべきですね。
それなのに最近の学生は3回生後半にはサークルを引退し就職活動に明け暮れなくてはならないのです。
これは「民族的」な疵だと私は思っています。文科省などこうしたことを改善する意欲も構想もなく、企業のやりたい放題です。それでていてやれ学力だ、若者のやる気がああだこうだというのですから、ちゃんちゃらおかしい!!
その一方で、バリケードや投石や角材、ヘルメットがキャンパスにあふれていた頃。大学解体を叫んだ人たちの罪は大きいと私は今でも思っているのです。
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/03/18(月) 00:12:18|
- 工芸
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