製材されたきれいな切断面を持たない端材、あるいは廃材と呼んだ方がいいだろう木切れを使って鳥などの動物をかたどっている。

着色され目鼻がつけられているからこそ鳥だと分かる、と書くとある意味で誤解を招く。
それは元あった形からこれを鳥にしようとなかなか考えつかないだろう形の無骨な板材などが、確かに組み合わされたり、多少の色付けや筆によって、まさに鳥の体躯となり、羽根となる。

滑らかな断面ではなく、力任せに割られた様な荒々しく木目の浮かんだ木の固まり。それが、もはや羽根をを広げた、あるいは羽をたたんだ柔らかい鳥の姿以外の何物でもないものとなっている。

木の株やトタン板の錆の形状を人の顔や動物の姿に見たてる様な作品もある。自然石が「マリアとイエスの母子像に見えますね」というようなものも世の中にはある。
そういう風に見ようによってはそう見えるというものではない。確かに鳥なんだが、その素材はあまりにぶっきらぼうに端材なのだ。
それぞれの作品はほのぼのとしたユーモアのにじんだ作品になっている。
どんな人が作ったんだろう。
部屋を見回すが、作品の紹介・制作コンセプトはもちろん、作者の紹介文もない。DMもおかれていない。ご本人も在廊されていない。
ギャラリーの事務所の方に「作者について書いたものはありませんか?」と尋ねると、無いという返事。
残念だ。

というわけで一日置いてまた訊ねてみた。
おられたのはお父さん。「息子の作品なんです。息子はいまいなくて。どこに行っているんでしょう。」とおっしゃる。普段は離れてくれしているけれど、せっかくの個展だから顔を見がてらでてきたのだそうだ。息子さんに電話をすると「今起きたから30分ぐらい経ったら顔を出す。」とのこと。
深夜までのバイトで起きられないらしい。

作品同様、慌てず騒がず、実に茫洋とした方だ。
口調もまた慌てず騒がず茫洋としている。
カメラを提げているので「写真を撮られるのですね。」とお尋ねするとニコンF1を取り出した。壊れたらいけないからもう一台持っているという。本格的だ。
「人しか撮らない。」のだそうだ。珍しく同好の士に会うことができた。
あんまりおもしろそうな人だから作品を借りて「角」を生やしてみた。
「角」は鳥の長い首と顔。
この人の周りだけ時空が違っているように感じた。興味津津。
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2012/11/09(金) 00:55:14|
- 工芸
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