一知半解、木を見て森を見ず・・・。私の弱点です。いや時には森ばかり見て木を見ないことも。
まあそれはともかく、私が出会った人からだけで中国の全体を推し量ることは危険です。自戒しておかねばなりません。
それにしてもかつて『毛沢東語録』に傍線をひき、『矛盾論』や『実践論』をポケットに突っこんで歩いたこともあり、「ひょっとしたら毛沢東よりも劉少奇のほうが分かっているのかもしれないなあ。」などとつぶやいていた昔の若者が今この中国にいることにちょっとした感慨を抱いているのですが・・・。
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かつて満州開拓団員として入植し、その地で獣医を志した父、開拓団の女塾で裁縫を学びながら父のもとに走った母を持つ私。事と次第によっては「残留孤児」になっていたかもしれない私。
「満州」はその意味でも私にとって特別な意味を持つ。
そして日中友好を掲げるこの学校で若者たちと向き合うことになった私。ここには20世紀から21世紀にかけての東アジア史がある。私は心の底でそう思いながらこの若者たちと語り合った。

この若者たちの一生はすっかり21世紀と重なる。
この学生はだれもが認めるトップクラスの実力をもつ。それは話していて肌でも感じられる。

彼女に一冊の本を進呈した。こうした立場からの視角も大切だよと。
これは私が幾度か読んだ本だから何度も傍線が引かれているが・・。
彼女はその本を胸に抱き、「だったらなおのこと嬉しいです。しっかり勉強します。先生も〇〇大学に入ることをすすめてくださるのなら,ぜひともその大学に合格します。」ときっぱりと言ってくれました。
真一文字に唇を結び、まっすぐに眼差しを私に向けて話す彼女。
そして、

明日写真を撮りましょう、というと「では少しかっこよくしなくてはいけませんね。」とちょっとお茶目さを発揮した彼女。
制服に限られ、髪も短くカットしなければならない校則の中で「かっこよく」しましょう、という言葉がかわいい。

「でも、ちょっと恥ずかしいですね。」

大海の一滴としてであっても、彼女・彼らを通じて21世紀に、ほんの一筋つながることができたような気がした。
が、しかし、中国の学生が21世紀の課題を担いうるように成長していくためには、もっと多くの支援が必要だと思う。

卒業式(という名の授業)の時の彼女である。
テーマ:女性ポートレート - ジャンル:写真
- 2012/08/26(日) 01:04:27|
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