私自身はいたって平凡な人生を歩んできました。他人と比べて回り道や足踏みが多かったとは言えますが、それが人生に劇的要素となったわけのものでもありません。
かつて私が知った日本の若者の中には、よくぞこうした家庭環境、生い立ちでここまで懸命にけなげに生きてきたものよと思わせる者が幾人かいました。それはそれですさまじいなあと思いましたし、安易な同情など何の役にも立たないとも感じました。
ここでも私の想像を超える生き方をしている若者に出会います。
まあそもそも小学校6年で留学コースを選んでいる時点で、私とは人生設計の意識が違いますが。

ある男子学生は安徽省に生まれ、日本に留学し、さらに両親と離れてこの東北の学校に編入し、日本の大学留学のノウハウや求められる学力の水準を把握すると、また一人安徽省に戻り、来年日本への留学を目指す。そして日本からさらに欧米に羽ばたこうとしている。安徽省からこの瀋陽までは同じ中国ではあっても外国といっていいくらい遠く離れています。親の直接的な援助はほとんど得られません。編入学や退校の手続きなど自分で一切やってしまいます。(ただ親子のきずなはとても強く、たがいに対する信頼や尊敬の気持ちは深いです)

この学校の学生の家庭の所得はおおむねかなり高い水準にあるようです。そういう意味では一人っ子でもありずいぶん大切に育てられていますし、お金もかけられていてどの子もお坊ちゃんお嬢ちゃんに見えます。が、一歩心の中にはいって見れば「大陸規模」の事情があるのです。

彼らの心の空間は時間的にも距離的にも内情の複雑さからも私などが三文小説的に想像する世界を優に上回っています。

見かけはふつうの女子高生、男子高生ですし、屈託なく笑い話す姿には日本の若者と何ら変わったところがありません。

しかし、越えていくもの、背負っているもの、志しているものが少し違うようです。
すくなくとも私の青少年期とは大分趣が違います。世代も国も違うのですから当たり前といえば当たり前ですが、何かそういってしまうとはみ出すような、掬い取れていないようなものを感じました。
テーマ:写真日記 - ジャンル:写真
- 2012/08/16(木) 01:16:13|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0