「第10回 蒼樹 写真個展 人間交叉点 with 音楽」
10月9日(月・祝)13:00~18:00 10日~14日 11:00~18:00
最終日15日(日) 11:00~17:00
場所: ギャリエ・ヤマシタ 三条寺町上がる。
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事前の打ち合わせで「黒の服を着ていくつもりですが・・。」と。
黒の服はおしゃれですし、時にとても華やかでさえあります。
肌の存在も強調しますしね。

それをこうしてもまた、一枚の写真。
よくある定番の図ではありますが。
少しきりっと感が出るでしょうか。
ペンダントの位置に気づいてあげられないという、私の相変わらずの注意力のなさ。

この人のまなざしは何かもの言いたげな景色を漂わせるので魅力的です。

ほらね。
「撮りたい人」選びの一つのポイントは、やはりその人自身の人柄ですね。
「初めまして」と偶然に出会って、それをどうして判断するのか。そこは「寺町の父」とも異称のあった(笑い)私の眼力です(大笑い)
でも、あまり外れたことはないですね。

入門・ ポートレートなどには、そもそもそういうことは書いてありません。ユーチューブなどでも、とにかく技術的にどういう風に撮影するかしか問題にしていません。
「構図のことなど考えなくていい」というユーチューバーの写真家がいたりするのは、それより前に考えるべきことがあって、それが抜けているから「写真がつまらない。」と考えるからでしょう。
90%以上の写真家のユーチューバーが「構図には日の丸構図というのがあって・・・。」としたり顔で解説している中で、こう言い切るのは大したものですね。
私もそう思わないではありませんが。

ここはいわゆる「映える」ところらしくて、私がカメラを構える背後で、すでに若い女性二人が順番待ちです。
そのお二人がどんな風に撮るのか、ちょっと参考までに見せてもらいたいですね。たぶんいい刺激を得られると思います。

それにしてもネット上で「映える場所」として知られると、そこだから撮りに行くというこの流れは、町中に突如として行列ができる店が現れるのと同じかな。
自分の目で見つけないとあまり自慢もできないと思うのですが。
結果として誰かのセレクトと重なったというのは、それはそこが良かったからでしょうからよいわけですが。

今日はもう10月ですね。
九月は「長月」という変哲のない名前で、ちょっと可哀想だなあと。それに比べて10月は「神無月」ですよね。出雲を除いて日本全国が緊張しますね。それぞれの国は「神さんはお留守」状態なんですから。
10月に神頼みがある人は普段の何倍も強く柏手を打って「鈴緒」も一段と強く鳴らさないといけませんね。
まあ、鈴緒の場合は神さんも(広まったのは戦後のことですね)その呼び出し音に、「あれっていちいち煩いなあ。昔は静かでよかった。」 「神社本庁では『その清々しい音色で参拝者を敬虔な気持ちにするとともに参拝者を祓い清め、神霊の発動を願うものと考えられています。』などと言っているけれど、大概の人はその音を『ガラガラ』とか『がらんがらん』などと表現していてとても『清々しい』などというモノではない。神さんたちは「人間の欲得、煩悩がこもって耳障りな事ヨ。」などと言っているかもしれません。
10月の全国神様総会ではどんなことが話されるんでしょうね。
せっかく清浄なクニを作ってきたのに、海は核汚染水にまみれ地上は核汚染水のタンクが並び、ゴミと有害物質の上に世界の人を呼び集めて大騒ぎをしよう、賭博場を作って荒稼ぎしよう、その上に世界に戦争の種をまく奴らと一緒になって軍需品を売って儲けようなどという輩ばかりになって、そういう人間どもにあきれ返って、供えられた「酒でも飲まなとてもシラフじゃいられない。」と慨嘆するのかもしれませんね。
しかも、そういうことを推し進めている勢力の背後には「神」社本庁などがあるに至っては、「『私は汝らの神であるぞ』などとは恥ずかしくって人前には出られんじゃないか。手をたたかれ鈴を鳴らされたぐらいでは元の社には帰れんぞ。」と、出雲を離れたがらない神も一柱や二柱ではないでしょうね。
- 2023/10/01(日) 00:00:03|
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