若者は社会の(歴史の)成長点(形成層)です。それはどこの国でも同じでしょう。
その社会・時代の矛盾を体現しています。その矛盾に慣れて、固定化してしまうのではなく、矛盾を矛盾のままに自らの葛藤とします。

プラトンが「イデア界」を覗き込んで幸せであったかどうか。哲学者はそのイデアの眩さに思わず常人と違った言動をとってしまうことがある。そこでプラトンは、だから(自分たち)哲人たちに同情を寄せるように人々に求めています。ポリスのアブであり、人に「掃われる」存在となったソクラテスに同情せよと。
「分かっている人」は時に孤独です。
その矛盾を内面化した葛藤と孤独が時に激しくその人自身を苛みます。感受性豊かな若者が啄木のように苦悩を負うことはいつの時代どの国でも同じです。

体制内に安住しようとする若者も、また多いことは、これも古今東西同じ現象です。大人たちは青年の角を矯めようとします。そして青年たちは家畜化していきます。
40年ほど前に深夜番組、「イレブンPM」のなかで各地の学校で中高生をヒツジ化しているさまを報道しました。私の出身県の学校もその中にありました。(現在はこうした批判的精神のある硬派の番組はほとんどありませんね。「イレブンPM」を硬派というのもなんだかおかしいですが。)

日本では青年が真綿でやんわり、しかし確実に、くくられています。中国ではくくっている縄はもう少し見えやすい。だが、その社会の中にいれば、日本人が日本は自由の国だと考えているのと同じくらい鎖は見えにくいのかもしれない。その縄や鎖は、往々人々に内面化してしまうから。

しかし、青年たちは時代を呼吸しながら敏感にそれに反応します。
テーマ:女性ポートレート - ジャンル:写真
- 2012/08/13(月) 01:31:19|
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