西塔路はコリアンタウンです。私はコリアンタウンにはいまのところあまり興味がありませんので、そこは一瞥して西塔に向かいます。
途上こんな建物を見かけました。1927年とあるところを見ると、満州事変以前に日本によって建てられたもののようです。
私がこの文章を書いているのは実は「7月7日」です。日本の人々のどれ程がこの日にちを意識しているでしょうか。
1937年の「7月7日」は盧溝橋事件が起こり、現地では軍同士が一応の決着をつけようとしていたのに日本政府が強引に事態を拡大して一挙に日中戦争に突入させてしまいました。
日本国憲法は言います。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」と。今の日本政府は自公にしろ、民主にしろ自衛隊を海外に派遣して勇ましいところを見せなければいけないように思い込んでいるようです。彼らの見ている「国民」が極めて狭い範囲になってしまっているからでしょうね。消費税問題でも原発再開問題でも、彼らが意識している国民は、日本国憲法が想定しているものとはずいぶん違っているのだと思われてなりません。「視野狭窄症」に陥っています。剣呑です。

西塔です。
門前の駐車場を管理する人はいますが、拝観料をとるような人は見かけません。地元の人も自由に出入りしているようです。拝観料をとるための窓口のようなものがありますが、使われている形跡がありません。
では、失礼して、入らせていただきますよ~。

寺院としての名称は延寿寺のようです。皇帝の命で建てられたものですから、「護国」とあります。東大寺や京都の東寺などと役割は同じですね。

白塔も同じですが、建物が極彩色なのに対して塔が「白」いのは色彩的に面白いですね。日本では本来は塔も極彩色だったと思います。

日本の寺院では塔が本来の位置から脇においやられているのとは違って、ここでは中心的な位置にあります。日本では塔に向かって合掌する人はほとんどありません。ここにこそ仏の舎利が安置されているはずなのに。

塔の前には石造りのベットのようなものがおかれていて、そこに身を投げ出して祈ります。

「写真、撮ってもいですかぁ~」と訊ねようにもどなたもいません。撮影禁止マークもありません。
中に入って撮るのは、はばかられますので、外から失礼。
実勝寺の仏像もほぼこのようなものでした。汚れひとつチリひとつ被らないきれいなものでした。


ところで、コリアンタウンにはこのような店があります。北朝鮮政府が直営しているらしいレストランです。入口に政府が厳選したという女性が立っています。
一階が喫茶店、二階で食事ができるようです。歌や踊りのショウもあるようです。こうした店は何店かあるようですが、それにしても一国の政府がこのような店を開いて外貨を求めねばならないとは。
しばらく心がふさがりました。おぼれている国とその国民にただ石を投げつけるだけでいいのか。
私たちの国は「ABCD」包囲網を敷かれて何を感じ、どう行動したのだったか。
テーマ:写真日記 - ジャンル:写真
- 2012/07/09(月) 17:18:21|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
盧溝橋事件のあった日ですか。私がその日に思っていたことと言えば、小さなお子さんがいるのであろう家の軒先に飾られた笹飾りを見て、七夕は中国伝来の節句の行事だけれど今の中国で七夕の行事が行われているのかしらん、なんてことでした。
目の前になければ忘れてはならないことも忘れ、忘れてしまいたいことを痛みと共にいつまでも抱え込み、人の記憶回路とはまことに不可思議なものと思えます。
さて、中国にも寺院があってお参りをする人がいるのですね。なぜか今の中国と結びつきませんでした。ずっと大切にされてきたのでしょうか。
- 2012/07/10(火) 20:51:45 |
- URL |
- Shin-Lu #-
- [ 編集 ]
中国の節供の行事は農歴(旧暦)で行われるようです。七夕の行事は具体的にはどんなふうに行われるのか今度誰かに聞いてみましょう。
「忘れてしまいたいことを痛みと共にいつまでも抱え込み」
そうですね。そういう記憶は不思議なことに意識の底でしぶとく残りますね。そして、ふとした拍子に頭をもたげます。まるで時に胃液がのどまで登るような不快な感触で・・。
楽しい記憶で埋め尽くしますか。
最近よいことありましたか?
- 2012/07/10(火) 23:36:36 |
- URL |
- soujyu2 #-
- [ 編集 ]