こんな言葉が残されている。
『実際にどう生きたかということは大した問題ではないのです。大切なのは、どんな人生を夢見たかということだけ。なぜって、夢はその人が死んだ後もいき続けるのですから。』 ( ココ・シャネル )
とても素敵な言葉だと思うしシャネルはそのように生きた人だと思う。
そう、問題はどのような夢を追ったかなのだろう。 「一喜一憂の種」でごまかしていてはいけない。
・・・・・・・
私は今年写真展を一つ増やそうとしている。
何やらに背中を押されているからです。 大げさに「メメント・モリ」を意識しているわけではないけれど、「誰でも死ななくちゃいけない。 でも私はいつも自分は例外だと信じていた。 なのに、なんてこった。」(ウィリアム・サローヤン)と慌てるに違いない私ですから少しだけ考え始めているような気がするのです。
何せ、お年頃ですからね。

さて、そんな話は脇に置いて・・・。
私の愛すべき若い友人たちは、日本への留学生だ親し、そのうちの一人がボストンに勉強に行っているせいもあって「留学生」と聞くと何か肩入れしたくなります。
この人も海を越えてやってきました。 いや、今は大概空を飛んでのほうが表現として当たるのでしょうが。
そういう留学生の交流を支援するカフェで写真展ができたらいいなあと思って、今、色々と調整中です。
この人たちは日本人のお客さんと積極的に日本語会話や英語会話をしてくれて、お国のことも話してくれます。
月に3回ほど来るらしいのでいつもこの人と会えるわけではありませんが、だれか留学生がいます。
よい交流の場ですよね。
ご常連のお客さんも少なくないようです。 そのうちのお一人が今回の写真や絵画の作家と様々なお店とを結ぼうという撮り雲の仕掛人の一人です。
その人はご自身が写真を撮っておられますのでその風景写真を展示されることになりそうです。
そうなんですここでは壁を分け合って何人かの人が展示することになりそうです。

私はオーナーとお話ししてもう少し踏み込んだ提案をしようとしています。
さてどうなりますことやら。
私の会話をお店の方が通訳してくれています。むろん彼女は日本語がかなりの程度できるんですが、英語のほうがストレスがまだ少ないですからね。
- 2023/01/30(月) 00:00:05|
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