私が高校生の頃から好きな言葉に「男子三日会わざれば括目してみよ。」というのがあります。
まあ、古い言葉ですから「男子」を「人」に置き換えないのは許してください。(三国志演義の中に出てくる言葉だそうで「士別れて三日、即(すなわ)ち更(さら)に刮目(かつもく)して相待すべし」という呂蒙が訪ねてきた魯粛に向かって言った言葉だそうです。)
話が変なところから始まりましたが、「けん玉」と言えば大昔、学童保育の指導員をしたころに盛んにおこなわれたものでした。
小学校などでもあっちこっちでやっていましたね。
それが何だか変なんです。

玉のほうをもってやったり「けん」と球を交互に持ったり、両方を放り上げたりと、あの頃見たものとは格段に違う技が繰り出されていました。
「けん玉もしばしやらざれば括目してみよ。」

こんな動きモノを撮る自信はなかったのですが、これも自分の運動神経というかセンスの問題だからと思って挑戦させてもらいました。(しかし、これはカメラの性能に負うところが大きいですね。)

彼(大学の一年生だそうですが)の背が高いので動きの幅が大きくてついていくのが大変です。
ジャグリングの部活に属しているんだそうですが「けん玉をしているのは僕だけかな。」
けん玉のワールドカップの大会もあるんだそうですね。広島で。

1964年の東京オリンピックの時には体操競技の超人的な技を「ウルトラC」難度と言ってアナウンサーは連呼、絶叫していました。が、今では男子では「I」,女子では「J」まであるともききます。体操の技も「三日観戦しなければ括目してみよ。」ですね。

まもなく会うことになっている友人が来るというのを無理にお願いしたら、じゃあと上着を脱いで演技してくれました。
これで「けん」の先が玉の穴に入る、なんて「お茶の子さいさい」 まるで当たり前すぎる技にさえ見えます。

中高時代、ほかの友達がテレビゲームに夢中になっているのに、一人けん玉にふけっていたんだそうです。
こういうことが大事なんですね。本当にそう思います。自分のやりたいことをして「はみご」になっても、ちゃんと友達も作るし、いじけもしないという精神世界を持つこと。文学少女や少年も同じでしょうね。今、流行ることの中にいて、少数者を排除したり押しつぶして安心したり、多数派であることの力を自分の力と勘違いして生きている人のなんと多いことか。

こんなこと、どうしてできちゃうかなあ。
動きの中ではなくて、制止させた状態でバランスをとって球を乗せるのだってとっても難しいでしょうに。

そこに待ち合せの友人が来ました。
なるほどこういう青年を友達にできる人かと思いました。互いにいい感じの友達同士でしたね。
- 2023/01/23(月) 00:00:01|
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