「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」というTV番組をご存じでしょうか。
いろいろな『博士ちゃん』が登場して大人たちをびっくりさせていますね。
子供たちは素晴らしくその能力を発揮しています。

最近は「オタク」と言われるようなことにも以前のような軽蔑感や排除感は薄まっているようで、私は歓迎しています。
芦田愛菜さん自身が、「天才子役」の一人でしたが、彼女の能力や意欲は「芸能界」などにとらわれていないようです。(『国民的女優』などにならなくていいです。そんなものになったら、生きにくくって仕方ないでしょ?!)
こういう子供の「異常な能力」は時として「十で天才、十五で才児、二十過ぎればただの人」などといわれます。
実際「天才子役」から成人した天才役者に変貌できる人はそうは多くないと思います。
『博士ちゃん』がみんな『博士』になるわけでもないわけです。

仮にそうだとしても私は少しもそれを「なんだ大したことはない」などとは思いません。
かつて「天才」だった子は大人になってもいいものを持っている場合が実は多いのだと思っています。
それに「ただの人」になるについては周囲の支援の在り方を反省させる場合が少なくないとも。

私は小5の時に、あまりに生意気だったせいか担任の先生から「十で天才、十五で才児、二十歳過ぎればただの人」という呪文を突き付けられて、以後その呪文にまといつかれて委縮してしまいました。(それで現今の末路を呈しているわけです。と、他人の所為にはできませんね。)
その担任に何の恨みもありません。むしろとてもよい先生でした。教育観も実践も戦後民主主義教育の良質な面を体現していた方だと思います。私の可能性を大きく開いてくれた人でもありましたしね。

『博士ちゃん』は必ずしも博士にならなくていいし、「天才子役」は必ずしも「天才役者」にならなくていい。
その子が成長すれば人生観だって価値観だって成長変貌するんですから。またそうでなくてはならないと思います。そのうえでなお音楽家や役者の道を選ぶならそれはなんと『幸福』なことでしょう。
こういう素晴らしい演奏ができるようにピアノが好きになり、音楽を楽しんで身にしみこませたことは、この子の人生を、この子の才能を豊かにするんですから。音楽を演奏するという表現する力や他者と共感できる力を得(る)たことはとても素晴らしいことです。
大いに励ましてやればいいし、だからと言って未来をコンクリートする必要はないのです。
このキラキラした表情をのできる、賢さを持つ子であることが大切なんだと私は思います。

それにしても素晴らしい演奏でした。
ありがとう。
これからもどんどんレッスンして、みんなを楽しませてあげてください。
- 2023/01/04(水) 00:00:02|
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