東海道新幹線が、停電で大幅に遅延した翌日のこと。
鹿児島にさえ雪が降って、各地で大雪の情報が。 TV報道で見るそれは、大変な積雪で各地で混乱が生じていました。あのような積雪では、老人独居者には一段とつらいだろうなあと思いました。
京都も寒かったのです。 風が冷たかったです。 それなのに・・・・鴨川の岸で。

「寒くないですか?」
「はい、寒いです。」
こんな寒い中で読書です。
「どちらから来られたのですか?」
「○○です。(…江戸湾のほど近くですね。)」
「そこなら京都より暖かいでしょうに、なぜわざわざこの季節に京都に?」
お隣の滋賀県に「オーディションを受けに」来られたんだそうです。
それで翌日この京都に。
なるほど。
写真を見ると日差しがあるし、・・・と思われるでしょう。でも風があるんですよ。つ、冷たい風が。

新進の声楽家さんでした。
それで「オーディションを受ける」必要があるわけですね。
芸術家として生きていくのはなかなか大変です。私もクラシックの若い演奏家の写真を幾度か撮ってきましたので、その一端はわかります。
音楽の世界に限らず、芸術・芸能(いわゆる芸能界の芸能じゃなくて)で道を切り開こうとする若者にとって、日本は・・・OECD各国の中で・・・あまり条件のよい国ではないようです。

あ~っ 寒いっ
思わず体が丸くなります。
「うたごえ新聞」の12月26日版にこんな囲み記事が出ている。書いているのは木津川計さん。
木津川さんは、まず「このコラムをお読みの男性にお尋ねしたい。」と書き出して、私をどきりとせる。この新聞を私の前に差し出したのが妻であるからなおのことだ。
続けて氏は「あなたは家庭で奥さんと話すとき、『あなた』というか、『おまえ』というか、『○○』と名前で話すか・・・・」と問うてくる。
木津川氏によれば、かつて大阪の革新府政を担った黒田了一氏は「おまえと口にする」のは「上から目線」で「よくない」とおっしゃっていたそうだ。それで木津川氏自身はどうかというと「あんた」と言っているんだそうで、「『おまえ』とは絶対に口にできない」と書かれている。そして、それが「私たち夫婦に働く、言葉の民主主義である」と閉じている。
妻がこの記事を私の目の前に押し出したのは・・・、私は結婚直後から「あんた」と呼んでいた。そのころ彼女はそれを大いに嫌って「ほかに呼び方はないの」と不平を鳴らしていた。上品な彼女にしてみれば「あんた」などとぶしつけで関西風の下町言葉は嫌だと思ったのだろう。しかし、当時も今も私にはそれ以外に口にできそうな呼び方(語彙)はなかった。・・・・、それが、「(彼女は出勤前のあわただしい時間に読んだものだから「あんた」と呼んでいたのが黒田了一氏だと勘違いして)あんな偉い人と同じ呼び方をしてきたのね。」と喜んでいるのだ。自分はそう呼ばれてきてうれしいらしい。「黒田さんが『あんた』と呼んだんじゃなくて、そういったのは木津川さんだよ。」と訂正したけれど、このコラム欄が気に入っている彼女は、黒田さんであろうと木津川さんであろうとどちらでもよいらしく、至極ご満悦だ。
皆さんはお連れ合いに対してどんな呼び方をされていますか。
妻が参加している、ある小さな子育て支援の女性の集まりでは、「主人」がという人がいる一方「旦那」が多数らしい。彼女は「夫が」と言っているとのこと。「あなたは私のことを『うちのかみさん』と言っているんでしょ?!」
そう私はコロンボに感謝している。
そうそう、木津川さん。「あなたは家庭で奥さんと話すとき」と書かれているが「奥さん」もあまり適当だとは言えなくないですか?
奥さん、奥方、奥様、家のやつ、家内、・・・・。
ところで、最近若い既婚男性が「嫁が」と言う。あれは私にはとても違和感がある。関西芸人が流行らせたのではないかと思っているのだが・・・・そしてその関西芸人の一定数の政治的発言が恐ろしく反動的で粗雑なことを目の当たりにしている今日この頃なんだが・・・が、一般男性の中にも無反省に使う人が多いようだ。まあ、ある種の「関西弁」ともいえるのだろうが。多くの自覚的な女性が「嫁」からの解放のために辛苦してきたのに歴史が逆戻りしている。昔の「嫁」と今の「ヨメ」とはニュアンスが違うとも言えようが、私はそこに通底している意識が案外根強くつながっているとみている。いかがだろうか。「よめ」と呼んでいる側も呼ばれている側も、女性史に対する無自覚、無関心、無知が問題だなと・・・。言葉の民主化はなかなか難しい。
- 2022/12/23(金) 00:00:05|
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