
妙光寺での「三人展」に彫刻で参加された石橋秀康さんは、尺八の導主という別の顔をもっておられます。
そちらのお名前は「聲月」。

石橋さんがそうする姿を撮りたいなあと委員スト、「そうですか、では吹きましょう。」とさっそく応じていただけました。
しかし、尺八は「吹禅一如」を追求する禅の一つの姿でもありますから、「♬ フフフん ♪」といった調子で臨むわけでありません。
袈裟をつけ居住まいを正して、気持ちを静めて臨みます。

そうなると、撮ろうとする私のほうもおのずから気持ちが違ってきます。
そうされる脇でごそごそするわけですが、できるだけ空気を乱さないようにと務めます。
立ったり座ったり寝転んだりして撮りたいのはやまやまなんですが・・・。

息を吹き込んで音にする、音になるその刹那「ブオーォ」という響きが身を包みます。
尺八から発せられているのに仏さんが安置されている壇のほうから響くようにさえ感じます。
その無声音?の後に続いて有声音?が響きます。

オーケストラのような演奏形式を発達させてきた西洋音楽では、一音は「ある特定の波長」の「一つの音」ですが、尺八では「一音」は「多様な音とその音の長さや揺らぎ」が混成して生まれてきます。
尺八もまた一本一本が出す音が異なります。フルートとは違うわけですね。

そして奏者の身体性や精神性がもろに出てきます。そのように聞こえます。
禅の実践ですから、「音楽を演奏する」というのとは違うとおっしゃいます。

この妙光寺自体が虚無僧の普化宗と深いかかわりのある禅宗寺院です。
ですからここには多くの尺八を吹く方が来られます。

庭に臨んで竹をゆする風の音を聞きながら尺八の音に身をゆだねると心が静まるのがよくわかります。

つい先日とあるところで出会った絵描きさんに「白黒の写真よかったよ。」といわれてさてどの写真かなと思ったのですが「女性も白黒で撮ったのがよかった。」と言われて、あれのことかななんて思いましたが、はてさて。写真展においでいただいたわけではないし、FBで特にイイネしていただいたこともないし、ましてやブログをご存じでもなさそうだし。でも、見てくださっているということでちょっと背筋が伸びました。
私のブログは・・・いま何かと問題になっていて継続が心配なFc2ブログなんですが・・・・見ていただいた『痕跡』が残らないお客さんも一定数おられます。『一定数』というのが具体的に何人くらいなのかもわかりませんが、時折「見てますよ」とか「個展の情報をブログで見たので来ました。」「あの時に撮ってもらった写真をSNS上のプロフィールに使っています。時々見てますよ。」などと言っていただけるのです。私のいとこの夫君も熱心に見てくれているようです。ですから普段は見えない読者は、たぶん片手や両手の指くらいでは数えられない、両足の指くらいは動員しないといけないくらいではあるんじゃないかと思います。
それで、仇やおろそかにできないなあと思いながらブログを続けています。今日の記事は4203番目だそうです。特に節目でもない数字ですが、そういう読者に支えられてきたということは言うをまちません。
今はFbとの二足の草鞋ですが、これからも大切にしていきたいと思っています。
- 2022/12/06(火) 00:00:03|
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