
ずうっと以前に撮らせていただいたことがあります。
日本画の円山応挙の流れを汲む方です。

最初撮らせていただいた時には、ただただ友禅の絵を描く人だくらいにしか思わないで、その風貌に感じるものがあって撮らせていただいたのです。
その後また別の二回りほど若い気鋭の職人さんとお話しする機会があり、「あの人は自分の師匠筋で、円山派の大御所だよ。」と伺ってびっくりしたのでした。

目が見えなければ蛇が出て来ても恐れないと言いますが、・・・こういうときに歴史的な言い回しができないことを、人権意識が高まったとだけ考えるのはどうかなと私は思うのですが・・・実に私などはそれを地で言っている訳でして・・。

ご自身を「やくざだ、やくざだ。」とおっしゃるのですが、そうした画流を継ぐ者として、未だに至らずという自覚をお持ちになるからだと感じました。
ご自身は若い時に日本画家になるつもりだったそうで、「その頃色々気負いもあって、既存の画き方に反旗を翻したのが、こういう始末かなあ。」とおっしゃっていましたが、南画に飛び込まれて、それが前後の世間の流れからは外れたということをおっしゃっているようでした。南宋の画流ですね。私は好きなんですが。

最近は油絵の世界で極めてリアルな絵を細密に描くのが流行しています。
現代画の「分からない」にくたびれた人々の反応ではないかなと私は思っているのですが、小木曽誠さんが、そういう道に入ったころはちっとも流行らず、精神的な苦悩も多かったようです。それが今や公募展でありふれた存在になっています。たまたま流れが後追いしてきたわけですが、この四条派の実力者の場合はそうはならなかったのですね。
けれど、「流行り」がいいものだとは、必ずしも言えないわけで、それがしかし、日が当たるか、経済生活にどう影響するかということに人生の色がつくわけですね。

自分が探求して、研究して、ようやくつかみながら実践していることが、気が付くと回りで「流行っている」ということもあるわけです。
そうすると「流行」に乗っているかのように揶揄されることもあるわけですが、自身の研究、試行錯誤の果てに確信をもってやっている人と「トレンド、日和」に乗って上手くやろうという人とでは自ずから、その理解の深浅が違う訳ですよね。
まあ、今はそのトレンドをかぎ分けて一時的に流れや風に乗って「うまくやり、美味しく」やればOK、流れが変わればまた帆の向きを変えればいいという御仁が多すぎますね。
お客さんが来て、私がその場を離れて、旧知の金彩の職人さんの方に回ってお話をして入ると、遠くから手招きをしてくれました。
「いいものを見せるからおいで・・。」と。
ちょっと他の人には見せられんから・・・と随分厳重に包装した絵を広げてくれました。
「おや、なんと、そういう訳ですか?! ふ~ん、こうれで結構稼ぎましたね(笑い)」
江戸期の画家たちもまた、表で流通するものよりはこちらの方に力を込めたとも言います。
旧知の職人さん・女性が「な~に、私にも見せて。」と近づいて来られましたが、「あ、いや、これはね・・・ははは」とまた華麗な包装をもとに戻してしまいました。
随分と奥座敷や蔵の奥の話をしていただきました。
- 2022/11/05(土) 00:00:02|
- 伝統工芸
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