そもそも話しかけて大丈夫なのかどうかさえ、私には判断ができません。
つまり、音楽を奏でているということより他に、何をしているのかわからないという事なんですね。
何とか、動作のわずかな、途切れを見つけて、ジェスチャーで「写真を撮っていい?」とサインを出して「OK」の返事をもらいました。
私たちは、その人が何をしているのか、どんな服装や髪形をしているかなどから、その人がどのような人か、つまりどんな物言いをし、どんな価値観を持っているのかを推測します。
つまり外見で人を判断します。 それは避けられないことで、必ずしも悪いことではないです。
ただ、その時に外形的なものと結びつけられた人間像のパタンはその人が生きた歴史的年代や社会環境、家庭環境である程度条件づけられていますから、そこに「偏見」も生まれるわけで、誤解・誤認も生じます。

だから、自身の認識は、常にアップデートする必要があります。
そのためには近づいて友好的に話すことが是非とも必要です。
人間だけじゃなくて国などについても同じです。

私たちが中高生の頃に机上にPCも院て―ネットもありませんでした。
懸命にそうしたものの出現に遅れまいとしてきたのです。 でもこの人たちの世代は疑うこともなく電子機器の中で生活しています。
考え方が違ってくるのは当たり前です。世界へのかかわり方や実感が違うでしょう。

私は自分がカメラという、いわば人間関係の「どこでもドア」みたいなものを持っていてよかったなあと思います。
そして、それを使って「ファインド」する。

ファインダーは「发现者≒発見者」だと私の若い中国人の友人が教えてくれました。
これは本当にうれしいヒントでした。 ただ見るんじゃないんだ、という事ですね。
これからこれから、もっともっと。
- 2022/10/05(水) 00:00:03|
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