「真面目な感じを受けるね。」というと
「専攻などから見てもらうとそんな風に見えるかもしれませんが、結構アウトドアなトコがあって、 以前は水泳をしていたんです。」
とのこと。高校時代には、かなりハードな練習をしていたようです。

私と別れた後、ウォーホル展を見て、スキップした写真美術館にも行ったそうです。
関東の人ですから、私の個展を見ていただくことができないのが残念です。
2000人目さんは京都の大学ですから、ちゃんと?案内の印刷物を渡しました。
そしてこの翌日には大阪の中之島美術館へ。
多分、岡本太郎の作品展でしょうか。 勉強、勉強。
いいと思います。 私は、勉強家は大好きです。

指先まで入れたほうがいいのですが、こういうときには85ミリ単焦点は、老化した体には、向いていない。
自分が機敏に動かないといけないからです。
一旦腰を落としたらすぐには立ち上がれませんし、中腰の移動もできません。なんてこった、です。

α99にミノルタの85ミリを付けると、すっと持ち上がります。軽いです。リュックを担いだ負担もまるで違います。
このカメラがもう少しα900の遺伝子をしっかりと受け継いでくれていたら、問題はなかったのになあ。 ソニーさん恨みますよ(笑い)

なんていつまでも未練を引きずっていてはいけないんですがね。
それにしてもこんな感じの人に出会うとホッとしますね。
世の中まんざら悪くないなと。

国葬問題や旧統一神霊協会問題が噴出して、ネット上でよく発言している人たちの知性の質がよ~くわかるようになりましたね。問わず語りに、その人自身が、誰を、どんな政治的潮流を担いだ「提灯持ち」かということがどんど浮き出てきました。ちょっと絶望感さえ持つような酷い状態ですね。
国際政治「学者」だとか社会「学者」だとかいう人が、果たして社会科学の基礎・基本を真面目に勉強してきたのかということが深刻に疑われて「知の荒廃」が印象的です。
彼らは無責任ですから思いついたことをぺらぺらとしゃべります。弁護士のバッチを持っていても、前言翻し厚顔無恥派などは、毎日のようにテレビに出て来て思いついたことを日和見しながらモノを言うのです。が一方で、真面目な研究者などは目立つことで金もうけをしようとも思っていませんし、一つの事に責任を持って言葉を発するために研究的誠実さを自らが自らに問いますから、なかなかさっさと言葉を出せない。
人類は、かつてのナチス・ヒトラーのドイツや、「時局、自局」とどんどん右傾化して行った天皇制日本では、勢いで乱雑乱暴に発言するものに誠実な言葉が蹴散らされていった経験を持っています。
あんな下らない発言にいちいち付き合っていられない、どうせ歴史の藻屑になるだけの半端な議論だと高をくくっていた結果があの始末です。
彼らを相手にするのは実に面倒くさいです。平穏な(研究)生活を乱されます。
でも、そう言って嵐の止むのを期待して頬かむりをした結果を知っている私たち、戦後を生きる私たちがそれでいいのかということは考えるべきだろうと思います。
60年代や70年代に青春期を送った人たちの声が静かすぎませんか?
- 2022/10/03(月) 00:00:02|
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