この方は「京くみひも」の分野の「伝統工芸士」さんです。
周囲に沿う明示したものがなくて、お別れの直前に名刺交換をしたら、その名刺に「伝統工芸士」に許されたマークがありました。
「あ~、そうだったんですか?!」

そう私が言いますと「私はまだまだですから。」と言われるのです。
私がこれまでお会いした多くの職人さんは、伝統工芸士であれ京の名工であれ、そのほとんどがそれを鼻にかけることなく、謙虚な方が多いので下。

何度も書いてきたように「伝統工芸士」は全国にも4000人と少しいるだけなんですから、「伝統工芸士」となったことはとてもうれしいでしょうし、誇りに思っておられることでしょう。 当然です。
でもその一方、そう呼ばれることから来る責任を感じておられる方が多いのです。
そして、そこはやはり京都ですね。周囲にたくさんの伝統工芸士が居られて、先輩たちの技術水準はさらにさらに高いところにあるということを皆さんが感じておられるのです。それは、今存命の方たちだけではなくて過去の職人の仕事が残されていて、何時もそれと比べられるからでもあるでしょう。
それで、何時も、まだまだだなあ、師匠、親方にはもちろん先輩たちにも及ばないなあと思うことが多いのだと思います。
50,60は今や若手ですからね。これからですこれから。

80の方が、色々な務めは果たしたし、ようやく少し前から思うように製作できるようになったとおっしゃっていました。
目や体力に衰えはあっても、若い時には勢いもありもあり上手くもあったろうけれど、「枯れた技術、感性」はこれから花開くのだと。

そういう姿を周囲に見ると、この方などは「私はまだまだ若い」と思うのかもしれません。」 すごいことですね。
若い人たちが盛んに作品を売りに出し「〇万円」だとか「●十万円」だとか値を付け、横に「・・・作家」書いているのは、若い気負いで、それもいいのですが、でも良いものはそんなに近いところにあるのじゃないよとも言いたいですね。

私はこの方の様な職人さんに接する度に「10年ちょっとって来たからと言って大きな口を叩いちゃいけないよ。」と常に反省させられます。

成長というものがあれば、それはそれとして認めながら、もっともっとと思いたいものです。
- 2022/09/25(日) 00:00:05|
- 伝統工芸
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