秋とはいっても日中はまだ暑さが残ります。
そんななか遠く関東から来られて、朝から「観光」です。 「京都は暑い」ですから鴨川の流れに足を漬けて、ちょっとホッとしたところです。
遠目に白い靴が脱いでおかれているのが見えましたから・・・・。そして白い帽子。 その間に黒い服。いいじゃないですか。

今日は重いD850に同じく重いシグマの85ミリですから、これを持ちだした甲斐があったなあというチャンスが欲しかったですね。
このレンズ、いいと思いますよ。

「冷たい!」水ではありませんが、今はこれくらいがいいですね。私も手指を流れに入れてみました。
私もこんなゴロゴロした石の上に立って撮る場所を選びたいのですが、なにしろ足の裏が「痛い!!」ので、諦めです。
写真のベストショットを取ろうという気概はないのか?!と写真の神様に叱られそうですが、痛さに思わずよろけてカメラとレンズを水没させる可能性があまりに高いので、「止めておきます」

なんというんでしょうか、肩から胸にかけているバック。口が開いてカメラがのぞいているので落としはしないかと気が気じゃありません。
スマフォで撮る人は勿論多いですが、こうしたカメラを持ち歩く人もまた意外に多いように思います。
プロや心あるアマチュアの腕の立つ人たちの写真作品がより多くの人々の目に触れる文化を作っていって、スマフォよりカメラでという流れができるといいなあと思います。
そして何より、やっぱりカメラで撮りたいなあと思わせるようないい写真がカメラ愛好家によってより多くと撮られることが肝要ですね。

そしてカメラ愛好家の仲間内でだけいいね、悪いねと言っている状況を大きく脱することが大事だなあと思っています。

周囲に人がいませんからマスクをとりませんか?とお願いしたのですが「マスクの下はスッピンだから・・」と。
それでせめて少し上を向いて帽子のつばも上げてもらって・・・・。
ホントに、早くマスクが外せるようになってほしいものです。
でも、すっぴんでもいいのになあ。でも、そういう訳にはいかないようです。

先日の拙ページで京都市役所の西側にあるギャラリー『余花庵』で開かれている、ウクライナの漫画家6人の風刺漫画展を訪ねてNHKの取材を受けたことを書きました。
その際、放送されるのは「私の『声』は『あれ?!』ってくらいで終るでしょうけどね。」と書きました。実際そうでしたね。
私の「弁明」
私はこういう取材を受けるのはあまりうれしくありません。何故かというと取材する側はあらかじめ自分たちがこういう内容にするというイメージを持っていて、あるいは主催者が喜ぶような内容にしようという無意識が働いていて「期待する『声』」を待っているからです。
例えば著名な方の作品展が行われて、会場に来ている人の声を拾ったとしても「意外に筆が荒く、主題も描き切れていないと思いました。その主題自体、歴史の評価に耐えられるかどうか私には疑問です。」なとというものが採用されるとも思えません。
今度使われた私の「声」は、いくつかの内容のうち最も当たり障りのない内容でした。
ロシア・ウクライナ戦争を止めるために我が政府は何ができているのだろうか。国葬などに手を取られている場合じゃないと思いますというような内容は、話しながら「使わないだろうなあ」と思いながらも敢えて発言しています。
放送内では、私は「21世紀中には戦争がうんうん」などとのんきなことを言っているのですが、今現在継続中の戦争について、「こんなボーとした認識しかもたない人なんだな。」と関西中の人々に思われたことでしょう。
例えば、国葬をするために各国の首脳に「弔問においでください」と要請し、来るなら来るで相手方の警備担当者などと大変な打ち合わせを役人たちはするのでしょう。ここで日本の外務省の役人たちの力が費消されてしまいます。この外務省の役人たちの力をウクライナ・ロシア間の停戦のために使うこともできたでしょうに。ただロシアの経済制裁をやっているだけでは問題の解決にならないことは今日の事態を見れば歴然としています。葬儀はうちだけでやるから各国首脳は戦争停止のために全力を注いでくださいというメッセージは出せないのでしょうか?
日本国政府、しかも「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」という前文を持つ憲法の国の政府らしい行動をしていない。
この事の悔しさ、残念さが6人のウクライナ漫画家たちの作品を見ての私の一番の感想でした。それを我が国政府の動きが緩慢だということを指摘する短い言葉で表現したのですが、・・・そしてこのことがいま政治の世界でもマスコミでも、ほとんど言われない事なのですが、切実に大切なことだと私は思うのです・・・それを記者は拾わなかったのですね。時間の都合もあってのことでしょうが、あんなボーとした話を拾った。ここではあえてNHKだからか?!とは申すまい。
TVの取材などを受けて、うれしくて、できれば番組内で写るといいなあと思う人の中には、取材者の思いを忖度して「面白かったです。楽しかったです。良い思い出になりました。さすがですね。悲しいです。」などとと答えることがないとは言えないでしょう。こういう番組はそのようにしてできているという側面があります。
漫画展については多くの人に見てもらいたいなあと思って放送のリンク先を何人かの知人に送りました。が、「おまえもこういう程度の人間に堕したのだな。」と言われることは確実です。
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220915/2000066318.html
- 2022/09/17(土) 00:00:04|
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