京都では「江戸時代からの・・・」というようなモノはいくつもあるようですが、よそから来た私にはあまり縁がありません。
何しろ「この前の戦・」というのが鳥羽伏見の戦いだったり、極端なのは応仁の乱の事だというのが、・・いくらか自慢げに言われる・・京都あるあるです。

私の旧職の同僚の一人は、旧市街から北に向かって、山の中に、入った小さな盆地に住んでいたのですが、その集落では400年近くたった今でも「新参者」扱いだそうです。
というのも、その地域に人々が先住したのが応仁の乱以前で、彼のご先祖が移り住んだのが乱以後だったからだと言います。
彼の祖母は、市中のデパートに買い物に行くのに、「今日は京都まで出かけてくる。」と言っていたそうです。

それから言えば、今私が住んでいるところは一条通の北側ですから、当然「洛外」ということになります。
竜安寺や仁和寺がありますし、足利氏の菩提寺の等持院もありますが、あくまでその地は京域の外、なのですね。
秀吉が築いた「お土居」の外でもあります。(もっとも「お土居」は今の千本通り≒平安時代の都のメインストリートである朱雀通りのやや西側を通っていますから、平安時代の右京は、もうほとんどみな京域外ですが。)

このシグマのレンズを付けて、ようやく、ちょっとホッとしています。
こういう写真をとったときに、何に目が言っているかをちゃんと表してくれるからです。
まあ平たく言って、絞りを開けた時にも、ピントがちゃんと来ているという事ですね。
拡大してみると、この距離でもキャッチライトが入っているのが分かります。

もっと性能のいいレンズも出ているそうですが、人を撮るにはこれくらいの解像感でいいと思います。
これ以上だと、却って精細さが邪魔になりそうです。
人の毛穴まで撮る必要はありませんから。
色も、ニコンの黄色味が抑えられて、いい感じのようです。 どんな条件でこうなるかも掴んでいきたいところです。
練習して、楽しめるようになりたいと思います。

そんな街で、もう一つ気になり耳障りだったのは右翼の街宣車の大音量。
共同通信が伝えている。
「政治的な理由から公共施設での展示を拒否されたアート作品などを集めた「表現の不自由展」が6日、京都市内で2日間の日程で始まった。会場周辺には京都府警が多数の警察官を配置して警戒に当たった。保守系団体とみられる街宣車も集まり、中止を求めた。
主催者側は会場の場所を公表せず予約者のみに案内。観覧者の荷物は金属探知機で検査した。会場周辺では、制服、私服姿の警察官が目立った。府警は街宣車に対し、柵で道路を封鎖して接近を防いだ。街宣車は「反日プロパガンダを許さないぞ」などと怒号した。」(この記事、ちょっとおかしいですよね。右翼の方の行動主張は「反日プロパガンダを許さないぞ」と紹介しながら、主催者がなぜ開催するのか、その意図、主張は紹介されていません。)
昨日、市役所前で「京都の良識ある市民の皆さん・・・。」と実に丁寧な言葉で紳士的に呼びかけていた右翼街宣車。その大音量がそもそも「良識を欠くのは誰なんだ。」と言わねばならないのですが、話が進むにつれて「門川市長、お前は何をやってるんだぁ~ッ(公共の施設を反日野郎どもに貸すなんて許せんという訳なのだが。) バッカ ヤロ~ッ!!」と間もなく地を出していました。実に良識豊かな人ではあります。「市民の皆さん。この表現の不自由展の開催を許せば、商売が妨害されます。交通が妨げられます。それでいいのでしょうかァッ・・。」 そりゃ困ります。そりゃ、困りますが、君たちが妨害行動をするから商売も妨げられ、交通も邪魔されるんでしょ?! 「表現の不自由展」を普通に見に来る人だけなら、何も不都合なことは起こりませんよ。話を逆にしては困ります。
右翼団体の皆さん、暑い中で、こんなことにエネルギーを割くなら自民党の京都本部に行って「おまえらはぁ~愛国者面して、同胞を他国に売るような売国奴だぁ~。CIAやKCIAなどという外国のスパイ・謀略機関に養成されたような似非宗教団体に身も心をささげるような反日集団は即刻「美しい国」日本から出ていけ~っ。二の湯、出てこ~い。お前のように国家公安委員長という国家機密に関わり、国家の安寧秩序を守る要職に在り、治安対策上の要にいながら、宗教の皮を被った謀略的な反日組織に利用されて平然としているとは何事かぁ。万死に値する国賊めぇ~。我々愛国集団は児玉誉士夫、笹川良一、岸信介先生の遺志を引き継いで、韓国の工作員と化した旧統一協会まみれの安倍自民党、いや岸田自民党を打倒し、皇国の独立主権を守る覚悟だぁ~。」と大いに演説したらいかがでしょうか。ただし適度な音量と良識的な態度でね。
それにしても残念に思うのは会場が一般には知らされず、私たちはお呼びでなかったことです。
これでは「表現の自由展」を決行しようとする一部の人々だけが彼らの罵声・怒声の中にあって、我々市民とは遠いところに立ってしまいかねないと思います。
できるだけ多くの人を罵声の内側に引き込み共通に彼らを敵と意識してもらうことが運動の肝心な点ではないのでしょうか。
私は彼ら右翼の行動隊の車列を分けて会場に入りたかった。
警察はきっと私の安全を確保してくれたはずだ、と思いますから。
【きっと妨害勢力が会場に入り込んで混乱を引き起こすだろうと予想して、その防衛対策としてそうしたんでしょうね。いろいろ議論を重ねたんでしょう。彼らを逆包囲するような力は京都の自由・民主勢力にないと判断したんでしょうかね。】
- 2022/08/08(月) 00:00:02|
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