おや、あれは何だろう。
人が集まり何か楽しそうだと、とにかく一先ず覗いてみる。
と言っても、私は元来は、あまりこうした空気になじむタイプの人間ではない。
それでも好奇心が湧くのは、そこにいる人たちが何を考え、何をしようとしていて、どんな人なのかに興味が湧くからだ。
「戰爭放棄」のTシャツ

この人が歌っていた曲。最初に耳にしたのは「let it be」の替え歌。
勿論? 歌詞は日本語。
私の経験とも重なって、「へぇ~、こんな歌を歌う人がいるんだ。」と、ちょっとうれしくなった。

歌詞はよく覚えていないけれど、散文的に思いだせば・・・。
♬ お母さんが先生に呼ばれて学校に行った。
「あなたのお子さんは赤い思想を持っているようだ。気を付けたほうがいい。」
お母さんは家に帰って来て僕に言ったのさ。
「let it be let it be」と。 🎶

お前の信じることを信じるように話せばいい、やればいい、思うがままにやりなさい。 let it be. let it be.

昔、小田実氏が、意味としてはこんなことを言っていた。
ソ連のスターリン主義的な独裁政治の下では自由がなく民主主義もない。 政権を批判すればしょっ引かれてシベリアに送られる。
日本は自由な国だ、とそう信じている人は多い。だけどその人たちは政権を批判する言葉を口にしたことがない、考えたこともない。誰かが、政権を批判し行動すれば、職場を追われて地域に住めなくなるという現状はソ連と大して違いはない。
政治体制に無批判で身の回りの事にしか関心がない人はソ連にいようと日本にいようと同じこと。
同じ程度に自由で不自由なのだ、と。
高校生の私は考えた。
「25メートルプールはシロナガスクジラにはあまりにも狭すぎるけれど、金魚には無限に自由な天地だ。」
日本の学校は人の多様性を認めない。みんな十束一からげに型に入れて安心しようとする。
ことに生徒が政治的な発言をしたり行動をすることに対して、条件反射的に抑圧・排除しようとする。自主的に判断し、行動することでさえ拒否感を募らせる。
校則が「ブラック」とも言われるゆえんだ。
現在のロシアではプーチン政権の政策に批判的な記事を書いた記者や新聞社は抑圧されて記事が書けなくなり、新聞社や放送局が続けられなくなる。
日本では、マスコミは端っから政権・与党を批判しないし、政権与党に都合の悪いことは書かない。自主的に「忖度」して。
だから政権は記者や、新聞社や放送局に圧力をかける必要もない。政権にとってマスコミは「安心・安全」な存在。人々も同じ。
取り締まりが必要なほど政権の本質を突く言論がないのだから弾圧なぞする必要がない。
だから日本では自由に物が言えて自由に行動できる。

高校一年生の一学期の終わりに保護者面談から帰ってきた父が言った。
「担任の先生が『息子さんは学校の勉強にかかわりのない本ばかりを読んでいるようです。注意された方がよろしいかと。』と言っていた。それでお父さんは『それでいいと思います。高校生の頃はそいうことをして成長する時期だと思いますし』と返事をしておいたよ。( let it be let it be )」と。
- 2022/06/27(月) 00:00:08|
- 楽しいね
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2