このところ職人さんの写真を撮る機会がほとんどありませんでした。
貴重なチャンスです。
この方は蒔絵をされています。

ただここは公開実演の場所ですから、本格的な蒔絵の仕事はできません。
紙を基礎にした栞を作ります。 紙と言っても漆を何度も塗りますから、耐水性もありますし丈夫になります。
その栞に、「生」のカエデの葉に漆を塗って、それを版にして栞に形を転写します。

ご存じのとおり漆は短時間では乾きません。通常は湿度を高く保った室(むろ)の中で「乾かします」
ですから一つの作品を継続的に作っていくことはできませんので、複数の作品を並行して作ることになります。
油絵も同じですね。

この写真の肝は漆を塗るための作業用の板です。
何度も何度も使われて実にいい色が出ています。

この日は「人物しか撮らない」と決めて出たので、α99にミノルタの80ミリです。
私的には、色について安心して撮れます。
あるいはα900の方がもう少し落ち着いた色で良かったかも知れません。

先日、街頭演説する共産党の人たちを撮りましたが、その時にはα99に80-200、f2.8を使いました。
このレンズで撮れる色やボケ・明瞭度は大好きです。 ミノルタのレンズがお好みです。やはりいいレンズを求めたいものですね。

今日(6・25)の京都盆地は、雨こそ降っていませんが、暑苦しい梅雨の一日です。
葡萄は実をつけそこなって落ちてしまう房?もあり、生きていくのはなかなか大変だなあと思います。
暑い夏になると、マントバーニー・オーケストラなどの演奏曲を聴きながら、ボーとした頭でことさら難しい本を読んで、意識を失っていくのを楽しみにするのです。
そういう音楽を聴きながら、自分の撮った写真を見ていると、突然、妙に切ない気分になります。人生の暮模様なのでしょうかね。
・・・・
「男はつらいよ」第36作は、栗原小巻がマドンナ役で離島の小学校教員をしていました。
この映画で、栗原小巻が演じていた女性が、今は亡くなってしまった親友の結婚相手と、その娘の誕生祝にレストランで食事をする場面があります。俳優としての彼女がロシアバレーやロシア演劇と深い関係を持ち、ロシア劇で高い評価を得ていたからでしょう。
山田洋二監督は、映画の中で、その親友の結婚相手はロシア語辞書作成の仕事をさせていました。そしてレストランにはウォッカと思しき酒がテーブルに置かれ、バラライカが演奏されていました。
明治の初めにはツルゲーネフやトルストイ、ゴーリキーなどが盛んに読まれ、学生の中にロシア語を学ぶものも少なくなかったのでした。二葉亭氏名などもいましたね。アジア。太平洋戦争後には再びロシア文化が注目され、歌声喫茶ではたくさんのロシア民謡がくりかえし歌われました。私たち日本人とロシアは友好的であり敬意も持っていた時期があったのです。
日清戦争後に受けた「三国(ロ・仏・独による)干渉」で遼東半島を中国から奪い損ねると、朝鮮支配と「満洲」への浸出のためにはいつかロシアと雌雄を決することになるとして、ロシアに対する復讐心を募らせるために臥薪嘗胆が呼びかけられました。日露戦争が近づくと更にロシアに対する敵愾心があおられて、「露スケ(ロシア人に対する別称。スケは助平のスケに通じます。)」「露探(探とはスパイの事です)」などの言葉が溢れました。 今、何かあるたびに「中共のスパイ」「韓国のスパイ」などと言われるのと同じですね。
ロシアにしろ、中国にしろ、またアメリカにしろ、イギリスにしろ、政治的な利害対立の中で人々は好悪の感情を誘導されます。
「ロシア人というものは」とか「どうせアメリカン人は」とかいう風に、実際のそれぞれの国にある具体的な歴史や文化の豊穣さを無視して、言い募る人々が増えます。
今、なるほどロシア政府は乱暴なウクライナ侵攻を続けています。そしてその政権が継続していることについてロシア国民にいくばくも罪がないかと言えばそうではないと思います。しかし、先の第二次大戦において、この度のロシア以上に大きな罪を犯した国の人間として、だからと言って、日本人の全てを否定してほしくないという思いはあるでしょう。政権の罪とその政権によって戦争に巻き込まれてしまった国民とを区別して、その国民と「未来に向けて友好を深めましょう。」という、周恩来のような人の言葉に出会うと干天の慈雨の様の感じたという歴史を私たちはもっています。
私はチャイコフスキーやショスタコービッチの音楽も好きです。
ロシアの人々の優れた文化や人柄を十把一からげにして、どぶに投げ捨てて侮辱するようなことにならないようにしたいものです。
- 2022/06/26(日) 00:00:06|
- 伝統工芸
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