60年代から70年代のポピュラーソングは好むと好まざるとにかかわらず耳に入り、また私の若い心にもいつとはなしに沁み込んでいたのですね。
懐かしさを感じます。

「南こうせつとかぐや姫」の「神田川」が1973年、や「なごり雪」が1974年でしたね。
この頃、私はこうしたいわゆる「フォークソング」が私小説風に挫折していくのを苦々しく聴いていました。
そこに「全共闘」の敗北主義が重なって感じられもしました。
もう政治の時代は終わったんだと、髪を七三に分けて分別臭そうな顔をして就職活動に熱を入れる元全共闘諸君とそのシンパのあまりに軽い転身が、こういう歌に重なりました。
センチメンタルにオナッてるんじゃないよ!と思いましたね。

でも、まあ、都会の生活に傷ついた多くの学生、若者の心情には響いたんだと思います。
そしてそこから、自分自身から浮いたスローガンに振り回されない、地に着いた気持ちを歌う歌が出てきたのでしょう。
でも、あれを「浮いた、観念的なスローガンだった」と簡単に放り出せるような人たちは、そのスローガンに責任を持つような気持をもてなかった、持とうとしなかった人たちなんだろうなあと私は、そう思いっていました。
最近、同世代の「全共闘」生き残り?を見かけることがあります。
昨日、名前を出した甲斐氏や「街場の・・・・」で有名な内田樹氏なんかもそういう人たちかな。
私自身は全共闘と対立する側でしたし、今でもそれは変わりませんが、「サヨク」としてのシンパシーは大いに感じます。
神田川に堕さなかった生き残りですもんね。 時々握手したくなります。

長く歌い継がれる歌にはそれなりの理由があるのでしょう。
琴線に触れる部分があります。

この方は時々ライブ・ステージにも上がるんだそうです。
そうでしょうね。お上手ですもん。

早くD850を道具として使いこなせるようにならないと、せっかくいただいたチャンスを生かせません。
それでは皆さんに申し訳ないです。
- 2022/06/22(水) 00:00:08|
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