この日はよく晴れて、初夏の気配です。
休日だということもあって人出も多くて、あちこちで水にはいって遊ぶ子供や大人が見られます。
シートを敷いて楽しそうに話をしたりお酒を飲んだりという状景もあちこちに。
そんな河原の情景を眺めていると、一人ちょっと違った空気をまとった人が。

最近、読書をする人はちょくちょく見かけます。
程よい木陰や水辺に降りて本を読む人がいます。
この人も本を読んでいるには違いないのですが、なんとなく雰囲気が・・・・。

読書を楽しんでいるというよりも、何かを記憶しようとして勉強しているようです。
受験勉強かなあ。
赤いシートを押し当てているのは、例のあれですよ、きっと。

時々何かつぶやいています。
お邪魔なことは百も承知、二百も合点なのですが・・・・。

まだ声をかけていないときに、考え込むようにして手指をほおに当てている様子がとても素晴らしかったので、ついに声をかけてしまいました。
明日、学校の中間試験なんだそうです。 おや、まあ、なんと。

こんな、皆が遊びさんざめいている中で試験勉強中だったとは。
橋の上からも見た時にはページに幾葉もの写真が見えましたから、何か芸術系の本を読んでいるのかな・・・例えば美術史とか・・・とも思ったのですが、どうもファッション系のようです。
部屋に一日中こもって勉強しているより案外集中できるのかもしれませんね。
わざわざ人の話し声やレコード音楽が流れる喫茶店に勉強しに行く人もいるわけですから。

「里やん」という方がこんなことをつぶやいておられました。
「『○○について、自分はどちらでもない(orどちらでもいい、orわからない)ので、政府(行政)に任せる。』と言う人がいる。
"あなた任せ"というか、"頭任せ"というか(・ω・)
つまり、従う準備はいつでも出来ているから、為政者にとにかくどっちか決めてくれという主権者がこの国は多いのだ。(>_<)」
「あなた任せ」は「頭任せ」 成程ね!!
「思想家」だという内田樹さんがこんなことを書いていました。
全文引用で申し訳ないのですが、これは日本国民の精神、思想の在り方として深刻な指摘ので、ここに掲載させていただきます。
「このままでは野党は歴史的大敗を喫する」という見通しについては僕も想田さんと同意見です。ただ、その大きな理由が「このままでは野党は大敗する」という見通しが有権者の間に広く共有されているからだというのが僕の考えです。
日本の有権者もメディアも政治学者も「適切な公約を掲げる政党が選挙に勝つ」という推論をしますが、これは端的に嘘です。話は逆で、日本人は「選挙に勝った政党の公約は事後的に適切と認定される」というふうに推論しているのです。
ですから、「私は正しい投票行動をした」と思いたい有権者は「どの公約が適切か?」ではなく「どの政党が勝ちそうか?」を予想するようになる。そして「勝ちそうな政党に投票すること」と「政治的に適切にふるまうこと」の違いが分からなくなる。ロシアも中国もまあ同じなんですけどね。
白井聡さんにうかがったのですが、ダートマス大学のチームが行った直近の衆院選の選挙結果分析ですと、自民党が圧勝したこの選挙で、自民党の政策は他党に比べて高い支持を得ていないそうです。政策別の支持を見ると、自民党は原発・エネルギー政策は最下位、経済政策とジェンダー政策はワースト2。
コロナ対策と外交安保が僅差で首位。なぜその政策が支持されないのに自民党は勝ち続けるのか。そこで研究チームは政党名を示さないで政策の良否を判断してもらった場合と、政党名を示した場合を比較しました。すると驚くべき結果が示されました。
自民党以外の政党の政策であっても「自民党の政策」だというラベルを貼ると支持率が跳ね上がったのです。共産党の外交安保政策は非常に支持率が低いのですが、これを「自民党の政策」として提示すると一気に支持者が増える。
つまり、有権者はどの政党がどういう政策を掲げているかではなく「どの政党が権力の座にあるのか」を基準にして投票行動をしているのでした。「最も多くの得票を集めた政党の政策を『正しい』とみなす」という奇習をすでに多くの有権者たちが深く内面化している。今も昔も「勝てば官軍」なんです。
確かに個別的な政策について判断を求めると60%を超える人が自公政権のやろうとしていることに反対している。しかも幾つもの争点で個別的には自公政権は国民から支持されていない。なのに、選挙では自公が勝つ。
このねじれをどう考えたらいいか、以前からいろいろ推論してみていましたが、どうも合理的な説明がつきませんでした。
もし、内田さんが指摘することが正しいとすれば、日本国民は自分たちの末来についてまるで責任を負おうとはしていないという事ですし、不満は言うけれど、事実に基づいて主体的に判断し行動することはしないという事ですね。
無責任で、ただ日和見に判断して、惰性的に運を天(権力)に任せている。これからは自公・維・国に任せるという事でしょうか。
戦争になって命を失い、人を殺す羽目に陥ろうとも、物価高で生活が破壊されようとも、無能で無様なCOVID-19感染防止対策によって殺されようとも、「政権党がすることに異を唱えても仕方がない」ということでお終にしてしまう国民なんでしょうか。
小中高生の頃から60有余年、「それって(自民党の政治って)おかしいじゃない?!」と言い続けて来て、日本国民に対して、もういい加減あきれてモノも言えないという感じが募ります。
「おけさほど唯物論は広まらず」
戦前の哲学者・戸坂潤の言葉ですが、あまりに同感で、本当に心底、萎えますね。
とはいえ、虚無的になって「投票になんか行けるか。」なんて言う気は毛頭ありませんし、発言を止める気もありません。
結局、この国はこの国に住む人たちで作るものですから、その一員として、「ねえねえ考えてみようよ。」と言い続けるしかないと、60有余年の経験から思うのです。同じ国民の一人が他の国民について諦めたら、一体世界の誰がこの日本をよりましな国にするのかという事ですね。アメリカを含め、誰もそんなことを考えるものはありません。
- 2022/06/19(日) 00:00:01|
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