
この作品は板垣 旭さんのものです。
個展会場は寺町丸太町にある「ギャラリー知」。ここは私が一回目の写真展をさせてもらったギャラリーです。
オーナーの青山さんは若手のギャラリストとして若手作家の作品を海外に紹介し、また海外の作品を招く仕事を熱心にされています。

若者のみずみずしい作品に触れることは私の楽しみの一つです。
彼は大学を出て故郷に戻り、しごとのかたわら絵を描き続けています。
どの若者にとっても「食べていく」ということは切実な問題です。その時に、芸術や芸能、あるいは科学という分野で力を発揮しようとする青年は大きな障害に突き当たります。
そして時に「志」を屈します。

「どうやって飯を食っていくんだ!」という言葉は重い。
家族から周囲から投げかけられる言葉は内面化して、自らの志を滅ぼすことがある。

芸大を出ると男性の多くは就職の戸口で、女性は結婚の戸口で挫折することが多いと言われる。
そういう障害を越えてやり遂げるから芸術も芸能も科学もそれなりのものになる、それが越えられないようではどうせ大したことはないなどとしたり顔で言う人もいる。 自身がそうした障害を越えたか、越える覚悟があるかは棚に上げて。

初めから喰うべきことにしか意識がなかった人が偉そうなことを言う。
食うべきことという・・・それ自体歴史普遍的で不可欠ではあり尊いことではあるが、今日の社会にあってはそれに従うことが、同時に金のもとに屈服させられることと同じだという事、その意味で・・・・軛や足枷にとらわれて、その足枷が金や銀だと言って誇らしげに掲げてみせる人もいる。
それが精神の軛であることさえ自覚なしに「ほら見ろ、この金の輝きを!」と。
小・中学校から金融について、実務文書について学ばせろ、今の義務教育は無駄だなどと訳知り顔で言うような輩は、自身が金の奴隷だということに気付いていない。

食べなくてはいけない、食べられるような条件を勝ち得なくてはいけない、しかし、そのことが多くの青年の志を挫けさせるような現代はまともではない。
それが現実だという人たちは、現実を思考もしなければ正対もしていない。時代に膝を屈した奴隷でしかない。

“Boys, be ambitious! Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame. Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.”
「少年よ、野心家でありなさい。お金や利己的な権勢的力の増大、一般的に男の成功だと言われているような近視眼的な目的のためにではなく。
野心的でありなさい、男がすべきとされる全ての学識や技芸や業績のために。」・・・私の意訳です。
- 2022/06/06(月) 00:00:05|
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