お爺さまは「もう廃業届を出しました。」とおっしゃっていました。二台あった織機の一台はもうすでに廃棄され、この一台もまた近々解体廃棄されるのだそうです。ただの鉄の塊として、重さで取引されるのです。
西陣織の灯がここでもまた一つ消えていきます。

廃業届を出し、この織機の処分がされるまでの、数えるほどの日時のうちに・・・「仕事・商売」として織っているのではなくて、・・・親しい人からの頼みで手すさびをしているようなものだそうです。

もともとは厚紙のパンチカードに穴をあけて経糸を上げる指示をしていたのが、やがてフロッピーディスクに情報を取り入れて、それによって経糸を操作していたのです。この工場にあるジャガードはそれです。「故障したらもう修理は効かない。もう修理する人もおらんしね。今ではメモリーカードを使うのだけれどそんな機械を入れるような余裕はあらへん。それだけの仕事もないし。」

この界隈では、私が大学生の頃には、ちょっと路地に入れば、あっちでもこっちでも機音が聞こえました。もうその音を聞くことはごくごく稀です。

仕事の合間には大文字山などにも登られる方で、まだまだ働けるのですが「潮時」だという事でしょうか。
写真を撮る者としてこの瞬間を撮らないではおけないなあと、いくらか逡巡されるのを、敢えてお願いして撮らせていただきました。

お孫さんの服部愛子さんも「いつ、機の音が止まるんだろう。」とちょっと切なそうでした。

「日本に京都があってよかった」など言ってもその京都は着実に、もはや取り戻せない境まで壊れています。

観光にしか生きる道を見いだせない京都府市政。
それがやがて全国の人々の悔やみになるのは必定ですが、そのことに中央政府もまた無関心で、無為無策です。
戦場で死ぬことしか愛国心と考えない輩たちの政治ですからね。

わたしもまた為す術がありません。ただシャッターを切るだけです。
- 2022/06/03(金) 00:00:03|
- 伝統工芸
-
| トラックバック:0
-
| コメント:1