ご覧のように木々は緑の新しい葉を萌えださせています。
桜も咲いているんだから外で撮ればいいのにという気持ちもあるんですが。
実は撮りたい場所があって、そこが第一優先なんです。
その場所で撮るとしたらどんな人がいいかなと、ずっと考えていたのです。 それにふさわしい人が現れたんですから、この機会を逃す手はないわけで。

忙しいなかを時間を割いてくれたわけでして、許される時間内にとれる場所という意味でも、そこはうってつけなのでした。
道中ちょっとお試撮りです。 モデル経験者に「モデルとしての注意」をいつものようにしまして・・・・。

前の写真はX20で撮ったモノでしたが、今回のモノはX100Fで撮ったモノです。
肌の色合いなどは安心して撮れます。それだけでストレスが少ない。

さてこうした撮影の時には、いい写真を撮るのも楽しみですが、次第に呼吸を理解し合って、お互いの間合いを変化させていく過程も楽しいのです。
第一、今日は、事実上『初めまして。』みたいなものですから。

その点でこの人はとても精神的に安定感のある人で人柄が良さそうです。
まあ、最初に会った時に、その人柄の良さそうな感覚があったからこそ「撮らせてもらえますか?」とお願いしたのではありますが。
私がお願いする人は、概してそういう人です。 見かけがいいならそれでOKというモノではありませよねん。

これがアンダー気味にした時に、フジのカメラが出す絵だなと思います。 私は好きです。

「おい、はばかりはどちらだい。」「お手洗いでございますか?」「そうだよ、厠だよ。」「化粧室ならそちらにございますが。」「そうかい、便所はこっちかい。」「さようでございます。おトイレはそちらになっております。」
敵基地攻撃能力を「反撃能力」と変えようと「ミサイル阻止力」と言い換えようと本質は何も変わらない。
それを言い換えれば国民にも見込みやすくできるというだけの事。古くは戦車を特車に。軍隊を自衛隊に、軍備を防衛装備に言いようを変えて軍拡を進めてきた自民党政権。問題を誤魔化し、ずらしてきたから国民自身の「防衛意識」「安全保障の知識」は不確かで現実にそぐわないものになりがち。国民お命にかかわることを言葉のごまかしで進めようとすること自体が今の国防論議、安全保障論議が「国民の生命と安全を守る」ためのものでないことを自ら告白しているようなものだ。
自民党が主張する
「敵基地攻撃能力×先制的攻撃も可とする=・・・・」
これを自衛とか「専守防衛」とかと整合させることはできない。憲法をはるかに逸脱する。
そして何より東アジアの平和に多大な脅威を与える。
日本はこれまで(自衛隊+米軍)によって東アジアにとって戦争の脅威だった。しかし、我が国が主体的に他国に攻撃を加えることはないという線を守ってきた。今やそのタガも外そうとしている。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍」がひき起こされる道に大きく進もうとしている日本。
我が国はウクライナに重ねてだけイメージすべき国ではない。戦前だけでなく、戦後も一貫して、ロシアに重ねてイメージすべき国であったということを日本人は深く自覚すべきだ。
対ソ、対中の(米軍の)核兵器を装備してきた日本だという一事をとってもそれを否定することはできない。
- 2022/04/25(月) 00:00:01|
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