こういうことができるところに鴨川の良い点があります。
これを天竜川や利根川でする人は、まあ滅多にないんじゃないでしょうか。

写真を撮りたいというと「う~ん、恥ずかしいなあ。」とおっしゃる。で、ちょっと後ろに引いて、少しばかり歌を聞きながら、私もついて歌う。小声でですが。
「いいでしょう?!」と繰り返すと、仕方ないか、という顔してくれる。 こんなもんを撮ってどうするんだと言いたげ。

「昭和」10代からせいぜい30年代頃までの歌。 三浦洸一なんてのもいたねえ。 春日八郎は・・・。
この人も亡くなった、この人ももうあっちだねぇ

みんな声が良かったねえ。声量もあってマイクから4,50センチも離れて歌うのが普通だったよね。マイクを咥えちゃってるのは歌じゃないね。
それに歌詞がいいよね。歌に気持ちが入るよ。

聴いていると私もあとをついて歌える歌ばかりが流れる。
ただ私は気管や肺を傷めたために肺活量が減ってしまい、しかも喉が過敏になってしまって歌えなくなってしまった。
若い時にはやたらと張り切って「オーソーレミーヨー」なんて歌っていたのに。
人がいるから恥ずかしいなんて、もう越えてしまっている。楽しいことを楽しめるように自在に生きる、それが人生だ。
いいねぇ。

「吉野家の常務取締役企画本部長が講師として登壇した講座の受講生のSNSだ。
投稿によると、本部長は若い女性をターゲットにしたマーケティング施策を『生娘をシャブ漬け戦略』と表現し、『田舎から出てきた右も左も分からない女の子を無垢・生娘のうちに牛丼中毒にする。男に高い飯を奢ってもらえるようになれば、(牛丼は)絶対食べない』と説明していたという。」と報じられています。
反吐が出るような発言ですね。
以前、吉本のある芸人が新型コロナの影響で飲食店などが営業時間を制限されたり休業に追い込まれたりすると従業員が職を失うことになる。そうなればいい子が風俗に現れることになると歓迎していました。その話に同調する芸人たち。
これに通じるような、女性に対する意識が大企業の幹部層にも広く存在するのでしょう。
「生娘をシャブ漬け」なんて暴力団や、ハングレみたいな意識ですよね。某有名大学の学生にはありがちかも知れませんが、そういう語彙を日常使える(頭の中を経巡っている)にはどんな文化の中にいたらよいかという事です。しかもそれを多くの学生を前にして日中に公言できる。
この発言に対してジェンダー問題として取り上げられているのは当然のことです。
女は「男に高い飯を奢ってもらうようにな」るという発想も極めて問題です。(もっとも少なくない若い女性の価値観にこれが深く浸透していることも事実ですが)
ですが、私は次の二つの点にも注意を喚起しておきたいと思います。
一つは吉野家の提供するメニューは、あくまで貧困ビジネスとしてのそれで、決してまともな食事をする人が見向きをするようなものではないと考えているという事です。
現実には、経済的に困窮している人が多い。その人たちにも暖かくておいしい食事を提供して支えていきたい。そういう考え方もあるはずです。が、しかし、吉野家のそれはそうではないでしょう。
今の学生の多くは高い授業料と下宿代でアップアップしています。若い労働者は非正規雇用の不安定な身分が多く、正規に雇われていたとしても低賃金で無権利状態に置かれています。吉野家はそうした状況を固定化してこそ自身の利益につながると考える企業だという事です。
まともな食事ができないような段階で「吉野家の牛ドン」を刷り込んでしまえという発想を裏返せば、若者は貧困のままでいいと、いや一般庶民を貧困レベルにしておくことが吉野家にとっては適切なマーケティング戦略だということではないでしょうか。
(いずれ高収入を得るようになっても「あの牛丼の味は忘れられんなあ。」とベンツを乗り付けて食べに行くような魅力的な味を追求しているというのを思わずこう表現したと弁解するんでしょうが、果たしてそれが本音かどうか。)
吉野家が自らの従業員の賃金をどういう基準で決めているか聞いてみたいものです。
もう一つ。
吉野家の常務取締役企画本部長が学生、青年を見る目です。
彼自身どんな青年期をおくりどんな学生だったか知る由もありませんが、若者や学生に対してこうした語彙を使って話せば「ウケル」「分かりやすい話をした」と自ら思っているという事です。若者・学生の意識状況、文化状況、あるいは人格をこういう言い方、考え方になじんでいるものだと見ているという事でしょう。彼の人間観が貧相で退廃し歪んでいるという事です。
吉野家が求人の際に若者をどう見ているかということを考えてみたいものです。少なくとも社内の人事考課で彼のような人を優秀な人材として昇格させ責任ある立場に付けて、大学にまで話に行くことを認めているのですから、これは単にこの常務取締役企画本部長だけの問題ではありません。
おそらく吉野家の中ではセクハラ、パワハラは日常的なものだろうと推測してもあまり間違いはないのではないかと思います。
若者観が歪んでいます。
それにしても彼は同じ話を自分の息子や娘にできるんでしょうか。
- 2022/04/20(水) 00:00:04|
- 楽しいね
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