和洋折衷型のトレンディーな着物です。
可愛くなりたいという要求に応えていますね。
こういうモノをリードするインフルエンサーがいるんですかね。

このお二人をスマフォで撮ってあげるときに「この写真の様に撮りたいんです。」とスマフォの画面を見せてくれました。
それは若い男女がそれぞれ線路に乗って互いに向き合って手を合わせているポーズでした。
履き慣れない草履や下駄で幅の狭い線路の上で平衡を保つのも大変です。

私にはもうこれくらいの感じの人たちが何歳くらいなのかもわかりません。
子供の頃、三十半ばくらい以上の人はもう押しなべてすべておじさんで、五、六十歳以上はおじいさんで全然区別がつかなかった、その反転現象でしょうか。
先日、美人さんが「写真を送ります、私は何歳に見えますか?」というので「アラフォーかな。」と失礼なことを言ってしまいました。
別の写真ではもっと若く見えたのですが「会社社長」という肩書に引きづられたせいもあってそう答えたのです。が「29歳になりました。」とのことでした。 ふつうは印象より少し若めに言うらしいのですが、そういうことが私にはなかなかできません。
事程左様に、若い人は押しなべて「若い」という事です。

オジサン的には、桜が咲こうが咲くまいがこうした若い人たちとおしゃべりすれば「春」ですね。

そしてこの人たちが、私の知らないことをいろいろ教えてくれるのです。
今度来る若い友人たちもまた私の大切で新鮮な情報源です。 まして彼らは私よりずっとビビッドに勉強をし体験していますからね。

老いては「若者に」従えです。
時事通信によれば、「自民、立憲民主両党など超党派の有志議員は7日、『明治の日を実現するための議員連盟』の設立総会を開いて、11月3日の「文化の日」を「明治の日」に改称するため、祝日法改正案の早期国会提出を目指す。」とのことです。
その提出理由として「現在の自由や平和、文化は明治時代の人々の努力によって確立されたとして、文化の日である11月3日を『明治の日』としたい考え。」だといいます。
超党派で臨むとして既に自民、維新、国民、立憲の各党の有志議員が参加しているとのことです。
現に定められている国民の祝日のいくつかは、そもそもからして胡散臭いものが幾つもあります。
国民の祝日の上に貼られている紙を一枚剥がせばそこには「天皇」がごろごろと出てくるのです。それはちょうど神社の石碑にある「官幣社」などという文字が削られもしないでそれと読めるように埋められて、「消した振り」がされているのと同じようなものです。
例を上げましょう。
2月11日はありもしない神武天皇による建国を祝した紀元節を下敷きにして「建国記念の日」としています。何故、現代日本の建国記念の日を考えないのでしょうか。
11月3日は宮中祭祀の新嘗祭だった日です。これが今の勤労感謝の日。ただのこじつけです。
最近できた海の日は1876年(明治9年)の「明治天皇」の東北巡幸の際、「明治丸」という灯台巡視船で、7月20日に横浜に無事帰港したことに由来した日です。
事程左様に現代日本の底には天皇主義が濃厚に潜んでいて、いつも頭をもたげようとしています。
今度話題になっている「明治の日」。これまでは「文化の日」でした。
文化について考えるのに何故に「11月3日」でなくてはならないのでしょうか。芸術の秋、読書の秋と「秋」を意識するならば「長月」の9月であってもいいはずでしょう。しかし、それではこの日を制定したい人々にとっては意味がなかったのです。というのも戦前この日は「明治節」であり、明治天皇の誕生を祝う日でした。これをなくしたくないために、 無理に「文化の日」として残したのです。底意は「今に見ていろ!いつか紀元節を復活させてやる。」という事です。そこで、それをあからさまに言う訳にはいかないだろうとちょっと一ひねりして「現在の自由や平和、文化は明治時代の人々の努力によって確立された」として、11月3日を『明治の日』としたいと言っているのです。
仮に百歩譲って、「明治」という時代を国民的に大切に考えるとして、じゃあそれを記念するのにふさわしい日は何月何日が適当なのでしょう。
仮に「明治の日」を考えるのなら、1867年12月9日に「王政復古の大号令」が出た
日はどうでしょう。「王=天皇の親政が復活するぞ」としたのですから明治時代が始まったと言ってもいいのです。
遡って徳川慶喜が「大政奉還」を申し出た日、つまり1867年10月14日だって政治権力は朝廷≒天皇の政府に戻った日でもいいはずです。
いやそもそも「慶応」が「明治」になったのは1868年10月23日です。
こうして、いくらも候補がある中で、何故「文化」を取り下げてまで、11月3日にこだわるでしょうか。それは繰り返しになりますが、その日が「明治節」であったからというほかはないと思います。
しかし、これらの日が、果たして現在の日本国憲法の精神に照らして記念すべきかどうかは大いに問題があります。天皇の政権ができた、天皇が生まれたということがどうして「現在の自由や平和、文化は明治時代の人々の努力」をシンボライズする日だと言えるのかという根本問題があるからです。
日本が近代世界に足を踏み入れたという意味では、たとえ強いられた面があるとはいえ、井伊直弼らによる開国の決断の方がずっとふさわしくはありませんか?
話を戻しましょう。
そもそも「現在の自由や平和、文化は明治時代の人々の努力によって確立されたとして、文化の日である11月3日を『明治の日』としたい考え。」は正しいでしょうか。
私には「現在の自由や平和」が明治期の人々の努力と一続きなど言う歴史観は到底受け入れることはできません。
それは大日本帝国憲法+教育勅語+・・・と日本国憲法+旧教育基本法を何も変わらないものとする考え方を意味するからです。(もっとも「明治の日」を求める人たちは、その前後の違いがよく分かっているのです。だからこそ憲法改悪を呼号するし、旧教育基本法をゆがめて変えてしまったのです。)
1968年は「明治100年」ということで政府や自民党などが旗を振って無理矢理に大騒ぎしましたけれど、これもまた明治から新憲法下の日本をのっぺりと一続きにしようという魂胆から出たものです。もっと正確に言えば、敗戦も戦後の憲法世界も否定して、それをないことにしたいというのが彼らの基本発想です。ですから、私たちが高校生のときにも「明治100年」反対を叫んだものでした。
あまり多くを書いても仕方がないので次の2つの事を考えておきたいと思います。
一つは、明治期が「平和」を追求した時代であったのかという事です。
大日本帝国憲法が発布されたのちに第1回帝国議会で、時の内閣総理大臣黒田清隆は政府の役割として「主権線のみならず利益線」を確保することが肝要だと演説したのです。利益線とはすなわち朝鮮の事で、大日本帝国憲法下の天皇の政府は朝鮮を支配下に置くことを当初からの目標に定めていたのです。これで平和の日本と言えるでしょうか。
もう一度言います。明治期は平和を追求した? とんでもないことです。
明治の初めには政府の内外に征韓論があって雲陽号事件を引き起こしました。朝鮮に無理強いの開国をせまりました。その結果、軍艦の威嚇によって日朝修好条規という、日本が諸外国に強要された不平等条約に輪をかけた不平等条約を押し付けたのです。まさにアメリカやロシアに対して失ったものを朝鮮、中国で取り返すという発想でした。その後も第一次から第三次迄の日韓協約を無理強いに結ばせ、・・・その間には韓国の皇后にあたる閔妃を殺害し遺体を辱めるということを日本政府の公使館員が主導して行いというあまりにも卑劣な蛮行をしたのです・・・ついには韓国併合条約によって韓国の主権を奪って植民地としてしまいました。明治期には、日清、日露の戦争を仕掛けたし、明治直後には大正新時代の天祐と言われた第一次大戦で政治的困難を乗り切り、中国侵出のきっかけとして利用し、経済の活性を得たという始末でした。
まさに「脱亜入欧」の恥ずべき明治の日本でした。
もう一つ。明治期の日本では自由や民主主義が伸長させられたでしょうか。そうではありませんでした。
帝国政府は征韓派参議を突然政府から排除しました。一種のクーデターで薩長派は政権を独占しました。その後の民権運動の勃興に対して政府は讒謗律や新聞紙条例、集会条例などによって言論や集会を徹底的に取り締まりました。天皇から資金を出してまで民権派の当選を阻むために、政府を上げて衆院選挙に干渉をしたこともありました。その時には警察のみならず壮士と名乗る暴力団をさえ盛んに利用し、選挙運動の中で死者や重症者を数多く生んだのです。
内村鑑三は教育勅語を拝礼しなかったと言って第一高等学校を追われました。大逆事件では無実の幸徳秋水ら12人が天皇の政府によって殺されました。
どこに自由がありますか。
こういう歴史的事実を「自虐史観」として口を封じようとする人々と「明治の日」を求める人は重なっていませんか。
こういう明治の時代を今の「自由や平和」を作り出す努力があった時代だというのは黒を白というに等しいと思います。
・・・ただ、その中で自由民権運動を初めキリスト者や社会主義者らによって自由、民主主義、対外侵略反対の運動が、弾圧をかいくぐって根強くされたことを忘れないでおきたいものです。もし顕彰し記念するとしたらこちらの側面をこそクローズアップすべきでしょう。芥川も賛同すると思います。・・・・
それを何故「明治の日」として記念しなくてはならないのでしょうか。
しかも、またしても明治天皇の誕生日を下敷きにして。
「明治の日」推進協議会の持っている思想は、「帝国主義を反省してこその平和主義」を否定するような時代錯誤、自由や民主主義の無理解を示しています。それを見るとこれに参加している自民、維新、国民民主、立憲民主の有志議員という人々はおよそ日本国憲法下の議員・政党人というにふさわしくないし、歴史的亡霊集団だと言わねばならないと私は思います。言葉を変えて言えば今日の国民にとって、また自由と民主主義、平和の実現にとって「障害」とも言っていい存在だと私は考えます。
一昔前は、こうした政治的傾向を「反動」と呼んだのです。自由と民主主義、平和の実現の歴史に対する「反動」。まさに彼らはそうした一群なのだと思います。
国民の休日を天皇に関連させて定めるべきではありません。日本国は天皇の国家ではありません。国民の国家なのです。
「明治の日」推進協議会のページでは隠すことなく次のように記述しています。
現憲法発布も敢えてこの日を選んでいたことの意味も隠していません。
「11月3日は明治天皇のお誕生日です。 昭和初期には「明治節」として、日本の祝日になっていました。そして、昭和21年同日、日本国憲法が公布されました。」 そしてその文章の横に明治天皇の写真が。
- 2022/04/10(日) 00:00:05|
- 楽しいね
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0