高校3年生。
ということは四月からはそれぞれの道に。
いまは卒業式を終えて?制服も脱いでの小休止。

友人と一緒に駅ピアノを弾きに来た。これまでも何度も来ている。
おじさんとして思うのは、今日一緒にピアノを弾きに来た友達と、次に一緒に来るのは何時になるのか。案外ずっと先だよ、と。
だからこの時に感じていることを大切に心に残しておきな。

いつでも再会できるよと思っていた友達と、いつの間にか「ああ、もうずっと長い間会ってないなあ。」と気づく日が来る。
高校の卒業というのは「別離」の意味があるね。 京都などの都会では大学や専門学校が近場にたくさんあるから、そうでもないかもしれないが、東京や大阪でない他県では、大概は「さようなら」が案外長くなる。 地元に残る者、都会に出ていく者。
無論、行った先の東京で再会を果たし、つるんで呑みに行くこともあったりするけれど。
私の郷里からは東に行くものは多いが西に向かうものは少ない。各県にある国立大学に行ったものは、先輩後輩にわずかな同窓生を数えるんだろう。

大学や専門学校を終えるときも同じではあるけれど、しかし、高校は「地元」という結びつきがある者が分かれるから、実はその時に思うより切ないものだ。

私が高校卒業の時に、ある友人が「今まで見たことがないから、成人映画を見に行こう。」と私を誘った。制服を脱いで行動できるから「ばれないよ」という訳だ。だが「おまえの頭は丸坊主のままだぞ。」
何故、彼が私を誘ったのかいまだにわからない。そんな秘密を共有しようと思えるほど親しかったわけでもないし、私のキャラクターをどう見ていたのか、一度彼に確かめたいが、多分この疑問は墓まで持って行くことになる。
第一彼がこの勇気ある行動を覚えているか定かではない。

映画の内容はまるで覚えていないが、映画館を出た時の妙に落ち着かない感覚は町のたたずまいとともに覚えている。
郷里を離れた京都なら知る人の目を気にしないで「18歳未満お断り」館に行けたはずなのだが、縁がなかった。ただ小遣いがなかったからかもしれないが。
放課後、帰宅への途中に誘い合って何度も弾きに来ていた駅ピアノ。
二人にはどんな記憶として残るのだろう。
- 2022/04/02(土) 00:00:03|
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