記事を書いている日にも駅前で活動されていました。
ただ、その日はロシアによるウクライナ侵攻に抗議する集会が開かれていて、ちょっと場所の移動を余儀なくされていましたが。

以前、我が家にも豆しばがいて家族みんなが大いに癒されていました。特に私と息子がでしょうか。
3月の当初まで我が家に来ていた二羽のメジロでさえ、大いに慰めになりました。
まして、犬や猫はなおさらでしょう。

この方はボランティアで「セラピードッグ」の訓育や犬を必要とする人との仲立ちなどをされているようです。
犬についても、またそれを必要とする人間についても専門的な知識と実践力がないと務まらない役割だそうです。

こうした活動の資金の多くは民間の有志の方々の支援金です。
COVID-19で人々の活動が収縮するとそうした資金も得られにくくなり、ますますこうした募金活動が必要になるのだそうです。

大型犬であれ小型犬であれほとんどの犬種が・・・・多少の向き不向きはあっても・・・訓練次第でセラピー犬としての役割が果たせるそうです。
犬は「犬好きの人間」をすぐに見抜きます。 犬を飼っていれば、その犬の臭いがしますからなおさらです。

こうした活動に犬も一緒に参加して役割を果たします。
勿論、長くこの場でじっとしているのは人間にも犬にも苦痛ですから、せいぜい2,3時間の事だそうです。
短時間でも、人通りは多いし、爆音を鳴らしていく自動車やバイクもありますから犬にとってはストレスフルなことでしょう。 ご苦労様です。

小学校の下校時にはいつも通る犬好きの子供たちが立ち寄ります。
子供たちは犬が大好きですから・・・・ことに家で犬を飼っている子たちは〔大好き!〕と言って・・・・駆け寄ってきますが、犬の視界の外から突然走って近づいてくるものがあると、犬はとっさに警戒して唸ってしまったりします。
それで、安心しろと撫でられたり、それでも「ウ~はダメ。」と叱られたりします。

みんなお馴染みさんです。
もうすぐまた新入生たちが来て、「触ってもいい?」と集まるのでしょう。

犬と人間だって仲良くできるんです。人間同士位仲良くできなくってどうしますか。

ロシアのプーチンの蛮行を止めることができていません。
ロシア国内からも戦争ヤメロ!の声が出て来ていてデモも行われているようです。
これを見て私たちは真剣に考えなくてはいけないと思います。
憲法九条を守る意思のない現政権が、様々な「危機」を口実に戦争に踏み切った時に、始まってしまった戦争をこの国の制度と人々の力で止められるかという事です。
どうやって押しとどめるかということは今から広く討論を呼び掛けて考えておかなくてはならないことだと思います。
ロシアの対ウクライナ侵攻戦争で、多くの人々は、またマスコミも、評論家諸氏も「日本が攻められたらどうするんだ。」という視点からばかり議論しますが、既にインド洋にまで軍事的プレゼンスを広げて中国封じ込め・・・つまりは対中国緊張を強めることです・・・を進めているわが国です。我が国は北海道から琉球列島。マラッカ海峡から、インド洋まで手広く軍事的にカバーするようになっています。そのどこでも中国と衝突する仕掛けが作られています。台湾で一朝事が起これば、どうあっても一枚かもうと前のめりの姿勢が自民党や維新などに出て来ています。一方、中国は東シナ海に出て来ていて、日本との関係では尖閣諸島の領有権を巡って争っています。
日本は責められて戦争になるというより敢えて紛争、衝突を招き入れる事態をどんどん広げているのが実態です。
そうして引き起こされる戦争を私たちは、今、ロシアの国民が期待されているように、国の内側から止めることができるでしょう。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」たはずの戦争をその政府によってひき起こされたとしたら、それを止める具体的な法律の仕組みがありません。天皇を含めて公務員は憲法の順守義務を負っていますし、そもそも「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄」し、それを実行あらしめるために「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」のですから、交戦権もなければ、戦おうにも陸海空の軍隊がないので戦争はできないはずだという憲法の元に暮らしています。
ところが実際には自衛隊という名の陸海空軍が存在し、自衛のための戦争はできるとか、同盟国への軍事的攻撃を我が国の存立基盤が危機に瀕する事態だと、我が国政府が「考えれば」、同盟国がかかわっている戦争であれば、それに自ら加わっていくことができることになってしまっています。つまり、戦争をしないはずの憲法下で戦争をするという現実的な可能性が私たちの目の前にあるのです。法の立て付けと現実が乖離しているのです。ですから現憲法下の法体系では、戦争を始めることができても、終わらせることができません。初めて法に優越するような戦争終結を強制できるような法的手段がないからです。戦争を始めた政府が自ら止めるほかないという事です。プーチンが戦争をはじめ、プーチンが戦争を止める。いや日本はロシアの様な事実上の独裁国ではないなどという話が本気でできますか?
私たちの国は侵攻を受けることを心配するより、戦争に打って出ることを心配しなくてはならない国です。
それは1868年以来の近代史全体が物語っています。
朝鮮戦争に反対しなかった。キューバ危機には手をこまねいているだけだった。ベトナム戦争に反対しなかった。アフガン戦争に反対しなかった。・・・・。そういう国なんです。そして憲法九条がありながら着々と軍拡を進めて、いまや世界第5位の軍事大国になっているのです。(米グローバル・ファイヤーパワー)
自らと世界に対する公約でもある憲法に戦後一貫して背を向けてきた日本国政府が「侵攻される」ことを危惧して軍拡を続けてきていることになっている。
しかし、私たちは、これまでの戦争は自衛を口実として始められるのが常だったとして「自衛のための戦争も放棄するのが九条の戦争放棄の意味だ。」と断固として言い切った吉田茂の言葉を今一度思い出すべきだろう。
ロシアだってNATOの東方拡大による脅威に対する安全保障を口実にしているのです。
私たちは、今、このロシアのウクライナ侵攻戦を目の前にして「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が」引き起こされてしまったら、それにどのように抗するのかを考えねばならないと思います。
すると、多分、「そうじゃない、なんとしても戦争に踏み切らせないようにしないと、始まったら止められない。」という声が出てくるのだろうと思います。(それでも考えなければなりません。)
私はその声を大きく大きくすることが何よりの日本国民の安全保障だと思っています。
- 2022/03/30(水) 00:00:03|
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