どの季節だって同じなんですが、ことに春は「それぞれの『春』」を思いますね。
昨日の記事は「卒業旅行」でした。 COVID-19がなければ海外旅行を選んでいたかもしれないプチ旅行のお二人です。
今日は、院の1回生を終えて2回生に向かう春を迎えている方です。 専攻は日本画です。

写真には作品の一部しか写っていませんが、「えっ?これが日本画?」と思われる方もおいでだと思います。
が、膠と岩絵の具で描かれ、日本画の手法が各所に見られるれっきとした日本画です。 と言っても「日本画とは何か」論が介在してくるような絵ではあります。

ご自身が高校生の頃に描かれた絵をスマフォで見せていただきました。
この人の秀才ぶりが分かる素晴らしい絵でした。 大学に入ってからの作品もさらに画力の高まったものでした。
対象物を見てそれを再現するという意味においてこの人はかなり早熟な描き手の様です。
そこから、見ることや見えていることに対する問題意識を追求し始めているようです。色や形の重なりがどういう効果を生んでいるのか。

絵の上手い人が進学するというようなことは、院への進学するということは実はやや趣が違う・・・と、私も期待するのです。
その点この人は自覚的であるように思いました。

かつて絵を描くことの隣には科学がありました。(別の隣には呪術もありましたが。)
一知半解ではあったかもしれないけれど印象派においてさえ?然りです。
今は科学と疎遠であること、あるいは科学とは別であることイコール感性的であるとして、芸術はその感性のみが負うのだのという傾向がかなりつよいよです。学校教育にもその影響が強いと思います。
ルネサンス期を学ぶときには別の説明をしているのに。 そしてその時には統一的に扱われていたのがなぜ分離しなくてはならなくなったのかを問うこともしないで、科学と感性が分離している傾向を丸ごと肯定しているようです。それでいいのかなあ。
あくまで私の個人的な考えですが。

問題はいろいろあります。テーマについても手法についても・・・・・。
こういう会場に来ると、「私はそれにこたえる準備があります・・。」という方に出会えるのです。
それが楽しいです。

そしてそういうことについて語ったくれた、話し相手になってくれた人を写真は残してくれるんですね。
無論、その人たちは描き手であり、作り手であってまさにそこに制作物があるということが肝心なのですが。(昔一時、作品を『作物』と表現している人たちがいましたね。私はそれもありだなあと思っていました。)
今日はこの方に出会いました。
来年の卒展・修了展でまたお目にかかれますね。
どうも落ち着きが悪い。
日本国中何時の間にかウクライナの応援団になっているようだ。京都市などはキエフと姉妹都市だからというので献花台を置いたり様々な呼びかけをしたりしている。
市民の間でもウクライナを支援しようという声があちこちで出ている。イベントの中に急遽ウクライナに対する支援の意思表明を交えようという動きがいくつかある。
どこかに、おっとり刀で義勇兵に、志願しようなどというモノもいるやに聞く。
戦争によらないで国家間の対立を解決しようと誓った筈の国の人々が、一旦、戦火が起こるとたちまち武力には武力で、暴力では暴力でとなる。戦争の被害者は被害国にばかりいるのではない。加害国の民衆も戦争の犠牲者になった。ただ戦火に焼かれたというばかりではなくて、人を殺すという「人の道に外れた罪を犯すことを強いられるという」道徳的な苦しみも背負わされた。与謝野晶子は「あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。
・・・・略・・・・
君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獸(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。」と詠った。
ロシアの若者は、プーチン政権によって、まさにこの獣の道に引きずり込まれて、命を失い負傷するばかりか、倫理的な崩壊を経験するのだ。
加害国国民のこうした倫理的苦痛を十分に味合わなかった政治家や官僚や軍人はたくさんいたが、しかし、一方で、戦後迄生き延びても、中国戦線などでの体験を絶対に口にしないでなくなっていった多くの兵士があった。彼らは死ぬまで壮絶な悪夢に悩まされたことだろう。
ロシアの青年も、母たちもこの戦争の歴然とした被害者なのだ。
ゼレンスキーにだけ肩入れし、ウクライナだけを応援すればこの戦争について良き行いをしたとは言えない。
少なくとも私たちは日本国憲法を持つ国民なのだ。
侵略戦争の加害国民の被害について誰より良く知るはずの日本国民がロシアの人々に悲しい切実な共感をすることができないとしたら、実は既に日本国憲法は半分死んでいると言ってもよいかもしれない。
と、私はそう思う。
戦争から救われなくてはいけないのは両国の国民なのだ。そのために国際世論でプーチンを追い詰めなくてはならない。ロシアの反戦、平和の人々とも共同して。
ベトナム選を卯でアメリカが敗北を認めざるを得なかったのはアメリカ国内の沿線、反戦の人々の声によるところも大きかった。
- 2022/03/24(木) 00:00:05|
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