卒展の真っ最中だというのにこの人は依然として制作中だとのこと。
そうなった事情を話して担当教官には「いいよ、それで。」と言ってもらったんだそうです。
キャプションには「焼きたくな~い」とありました。 陶芸コースなのに「焼きたくない」ってどういうこと?
「それはですねぇ。」

「わたし、焼きしめた陶器の感じより湿度のあるこの粘土が好きなんです。」
成程、素の粘土と陶器ではまるで質感が違いますよね。
この場は共有部分ですから講義などの普段の活動が終わってからでないとこの制作作業に入れないわけで、こういうことになっているんだという背景もあるようで。

この木組みの周囲を覆うような形の、そして中に潜れるようなモノを作るんだそうです。
扇風機が幾台もぶんぶん回っています。 粘土はある程度乾かさないといけません。柔らかいままでは形が保てませんから。
会期中に完成する見通しなの?と訊くと、この通りの笑顔で「 間に合うかなあ。でも何とかやってみます。」
なかなかいい度胸をしています。おおらかな人です。いいですねぇ。
そもそもこんな大きいものに一人で挑戦すること自体が、この人、大物です。
この人は制作の間中に友人たちの展示作品を見に行くことも、友人たちとしゃべりしながら互いの写真を撮ったりすることもできません。
卒展は晴れの舞台でもあり最後の学生生活の一ページです。ですからどう過ごすかはとても深く記憶に残るんじゃないでしょうか。

私は卒業式を前にして、友人たちが卒業旅行だとか、最後のコンパだとか、あるいはまた就職先への引っ越しだ、郷里に帰る準備だとかをしているときに、まるで別の時間を過ごしていました。 卒業式の答辞を読んだ後も、友人たちが互いに最後の別れの挨拶をし先生に別れを告げているときにも、一人別行動でした。仲間たちが河上肇の墓に向かってぞろぞろと行く背中を一人見送っていました。卒業の感慨にふける暇もありませんでした。
何だかその時を思い出します。

でもこの人の場合は孤独感や寂寞感とかはないんだろうと思います。最後の制作に打ち込めるわけですしね。
そして案外注目もされています。声をかけていく人も少なくありません。
カードを置いてきたので連絡をくれるといいのになあと思いながらこの記事を書いています。そうすればこの写真を送ってあげられますから。
他の誰とも違う卒展を過ごした記憶を。
- 2022/02/28(月) 00:00:02|
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