私が「猫踏んじゃった」の子たちと話していると、そこに割って入ってきた方。
明るい楽しい人です。
「お先に!」と弾き始めました。 上手いです。 ベートーベンの「月光」まで弾くのです。 ただモノじゃありませんね。

でもピアノを弾き始めたのは2年前だそうで「習いに行ってるんだけど・・・。」とおっしゃる。
お宅には電子ピアノはあるんだけど、お仕事の合間に時間を見つけてここに弾きに来るんだそうです。

「お上手ですねぇ。」
「いや、2年間毎日一時間、弾いたらいたらこれくらいにはなるよ。」
確かに何事につけ一日一時間毎日練習すれば何事かできるというのは本当でしょう。
ダイエットだって3か月続けるだけ第一次の効果は見えてきますよね。
それが三日坊主ならぬ3か月坊主で大方の人が挫折するんですよね。 というか、私がまさにそういう挫折組です。いや<挫折>なんて言うような立派なものではないですね。

その点この方は・・・・。
で、仕事の合間にここに来て弾いているというのは?
タクシーの乗務員をされているんですって。 京都駅前にたくさんのタクシーが順番待ちで待機しています。1時間くらい待つのは、ことに最近はよくあるんだそうです。観光客も減っていますしね。 その待機時間に大急ぎでここに来て練習。なるほど、まさに時間の有効活用ですね。
かっこいいなあ。

「熱しやすく冷めやすい」 母はいつも私のことをこういっていました。 本当にこの性根はなおりませんね。
まあ、それで熱しやすいその時にはせいぜい熱して取り組んで、冷めちゃったら別の事に「熱して」、また冷めちゃったら、諦めて、自己否定に陥らずに、また別の事で「熱して」、そして長い人生のトータルとしては、なんとなく幅広く多少の厚みがもてればいいかなあという風に、自分の飼い方を工夫するようにしました。 まあだから大した人間にも成れません。

この方は、もう弾きたくて弾きたくてたまらないという感じです。自分の上達に手ごたえがあてっ愉しくて仕方がないのでしょうね。

この肩の盛り上がり、鍵盤に接する指の感触、音に神経が集中されているのがよく分かります。
わが国にも確か憲法というものがあったはずですが、「憲法に照らして・・・」というものの考え方は自公政権にはないようです。それが維新やいま与党まがいになった国民民主にもないようです。「憲法に照らして」物事を考えられない人々が、今まさに憲法を暮らしの中に生かそうと奮闘する他党を批判するのに「将来国の体制を変える可能性がある」と言って非難するのですから訳が分かりません。彼らは今現在、国政の大原則である憲法を覆滅しようとしているのですから。
「敵基地攻撃」をするということはこちらの理屈が自衛であれ侵略であれ、相手からすればまさに国境を越えて攻撃されたという事ですから相手国とすれば「自衛権の発動として日本の攻撃を排除する「軍事行動」が国際的に認められます。そうなれば相互に武力の発動≒戦争になることは日の目を見るより明らかです。
「敵基地攻撃」が、まだ相手方からのピストルの弾一発もうけていないのに、「武力の発動の恐れが窮迫している」とこちらが認定することで行われるとすれば、こちらの主観に任せて攻撃でき・・・しかも相手国の奥深くに・・、戦争を仕掛けられることになります。相手国の国民は「やられたのでやり返せ!」となるに決まっていて、その武力紛争の鎮静後も長く日本に対する憎悪や反感の根が無くなることはないでしょう。真珠湾を思い出すだけでも明らかです。
USAのフセイン政権に対する武力攻撃は「大量破壊兵器の蓄蔵」が口実でしたが、どこにもその証拠はありませんでした。
まさか日本政府があの戦争好きのUSAのようにありもしないことを理由にして戦争を始めるなんてことはないなんておとぎ話を信じますか。
日清戦争だって、日露戦争だって、シベリア出兵(対ソ干渉戦争)だって、日中戦争だって、太平洋戦争だって、「敵から仕掛けられた」戦争ではありません。柳条湖事件、盧溝橋事件、皆日本軍の謀略が底に在りました。
私たちは忘れてはいけないのです。日本というのは明治初発からそういう国家なんです。(いや、戦前と戦後では日本国は大いに変わったのだという人があればそれを安倍氏や高市氏に行ってください。)日本がそういう国家だったから「自衛のための戦争」さえ放棄して、世界に対して生まれ変わりますと約束したのです。すべての武力を持つことを放棄して「武器を持たないのだから戦争をしようにもできないのです。だから日本が二度と戦争を引き起こさないことを信じてください」といったのです。当時としては主権国家としては常識外れのことを言い出さない限り世界の信頼を得ることなどできない立場なのです。(そしてその常識外れこそ世界の平和構築のカギだということを世界に知らしめることになったのですが・・・・日本はその「名誉ある地位」を自ら再び投げ出そうとしているのです。)
それなのに先の戦争を繰り返した日本こそ「美しい国」だと美化して、それらの戦争を「侵略ではなくて防衛戦だった」といい、その戦争の間に他国民を奴隷化したことを無かったことにするという人々が政権を握り、いまや「敵基地」を「先制的に」攻撃することを考えようと国会で議論し始めているのです。自民党の安倍氏や高市氏といった人々はそれを公然と主張していますし、維新は質問の形で政府を叱咤しています。
政府(自衛隊)に敵基地攻撃を認めることは憲法違反です。国際公約違反です。そして何より日本国民にとっても大不幸の入り口に立つという事です。
日本が20世紀に犯した過ちを21世紀にくりかえす道を開くことです。武力攻撃は世界を分断します。
私たち日本国民は「敵基地攻撃」を認めろという勢力、憲法九条を改変しようとする勢力に対して「奴らを通すな!」と言わねばならないと思います。
「第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
敢えて一つだけ付け加えます。
「敵基地攻撃」の「敵」が何国であるのか。中国でしょうか北朝鮮でしょうか。 いずれにしてもその敵基地先制攻撃の反撃はどこにどのような規模で行われるでしょうか。「敵基地攻撃」が相手の国力、少なくとも軍事的反撃力を壊滅するものでない限り反撃を受けるでしょう。どこに、ですか。 日本の原子力発電所は海岸に沿ってむき出しに並んでいます。それも日本海側にたくさん。一発のミサイルが原発に命中した時に、日本は、日本国民はどういう事態になりますか。東電福島原発事故と比べ物にならない事態になりませんか。
北朝鮮のミサイルはUSAを意識しています。中国が台湾を意識しています。それを日本は敢えて「それは日本にとっても危急存亡」にかかわる事態なのでと言って、おっとり刀で戦争参加を買って出ようというのです。私もあなたの敵に回るのでこちらにもミサイルを向けて、というようなことになりませんか。もしどうしてもそうしたいならば日本海側の原発をすっかり整理してからにしてはどうなのでしょうか。 「敵が来る敵が来る」といった同じ口で「原発は大事、もっと増やそう」というのはどういう理屈なのでしょうか。
- 2022/02/24(木) 00:00:01|
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