少し前から気になっていたのです。
「ゆめ工房」さん。 小児用補装具専門店です。 障害のある子をサポートする器具を制作されているようです。
私は視力に「障害」がありますから眼鏡をかけています。幸か不幸か視力に問題のある人はあまりにも多くて「眼鏡」生産は利潤が出ます。需要も多いですから廉価品から高級品、定番の形からでデザイナーの手になるオシャレなもの、豪華なものなどなど様々なものがあります。
けれどそれ以外の身体の障害(原因は様々で様態も様々ですが)を持つ人をサポートする器具は生産に手間と費用がかかる一方、需要は眼鏡のようなわけにはいきません。 まして「医療」の名がついたり、福祉の名が付いたりすると黒や灰色の機能本位のモノに制限されがちです。

でも先のパラリンピックについての報道でも知られるようになった面がありますが、「私たちもオシャレがしたい」というあまりに当然の要求をようやく実現する動きが現れているようです。
より速く、より高く、より遠くを実現する装具の壁を越えてオシャレな。

義足を付けてもハイヒールを履きたい。赤い靴も履きたい。 友達が履いているようなナイキやアディダスの靴を履きたい。そう言う思いはあまりにも当たり前の要求です。ですが、それが実現されているかというと・・・。
私がもう何年も前に中国に行った時に、町を車いすで行く人の姿をよく見ました。介助のある人もいればない人もいましたが、何か日本で見る情景を違うなと思ったことがあります。
日本で見るときには、どことなく遠慮がちで人の手を借りるときのおずおずとした空気があまり見られないで、家族にかもまれて移動したり食事を楽しんでいる姿がたくさん見られたことです。そして車いすの人たちの服やいす自体がどことなく個性的だたっとという事です。

子供たちは成長に伴って体形も変わるし障害の状態もどんどん変化することがあります。
保育園児くらいから学童期など一年間に大きさの違う靴が二足必要なこともあります。履きかえを考えれば4足でしょうか。
それが傷害を支援する装具であってみれば堅固さが求められた特殊な形をしていますからどうしても高価になりますし、何より要望に応えたモノを作ってくれるところや人が乏しいという「障害」があります。

私は眼鏡をかければこそ戸外を歩くことができ、自動車を運転もし、読書もできればカメラで写真を撮ることもできるわけです。つまり障害を支援する器具があれば、「出来る」ことはどんどん増えるわけです。
ことに子供にとってそれはそのまま成長に繋がります。成長の喜びは生の喜びですし、自己肯定感の形成につながります。
立てれば、歩ければぐんぐんと視界が開けていきます。手にとれるものも増えます。

ゆめ工房では夫君の益川恒夫さんと妻君の由美子さんとが仕事をしています。
しばらく前からこの工房を外から覗くことがあった私は、あることをきっかけにして思い切って「お邪魔します」と戸を開けることにしました。
- 2022/01/22(土) 00:00:02|
- モノづくり
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