
先日、歯医者に行って歯の掃除をしてもらいました。
その時に歯科衛生士さんでしょうか。「口の中を見て、カルテの年齢を確認してちょっと驚きました。」と言われました。
意外にお年を召されているんですね、と。つまり歯の様子だけ見ているとずっと若い印象だったという事ですね。それでせっかくまだ健康に残っている良い歯を大切にし続けて健康な生活を送ってくださいと言われたのです。

私は子供の頃からは医者にかかり虫歯の治療をし、ひどい時には・・・現役時代でしたが・・・頬にまで菌が入って晴れ上がり結果、ずいぶん手間のかかる治療をし、ブリッジに頼っています。
長いこと自分の歯は弱くて治療痕が多く、歯並びも悪かったですから、とにかく歯についてはコンプレックスを抱えていたのでした。
それが、まさか「いい状態で来ているのですから…。」と誉めていただいたのです。
「歯磨きの仕方も大変上手で良好です・」と。 まことに思わぬ言葉でした。

なぜこんなことを書いているのかというと、自己認識というのは往々にして客観的評価とは違うという事です。
「私はこういう自分だ。」ということが必ずしも「自分を一番よく知っているのは自分自身だ」とはいかないという事ですね。
良くも悪くもです。

それで「よく鏡を見てみろ。」などと言われるわけで。それは外見上の問題ばかりではありませんね。
前置きが長くなりましたが、写真を撮っていて、やはりそういうことを思う訳なのです。

写真を撮られる人はいわば他者の目を通す自分を見ることになるわけです。
功罪がありますよね。 そこで私は「功」の側にカメラを役立出たいと思う訳なんです。 いやそんな意図的、恣意的に自由自在にできるわけではないですし、写される当人の気持ち次第の面が多分にあるわけですが、「功」の働きができたらなあとも思うのです。

別に人相見やカウンセラーになる気はさらさらないのですが、その人自身があまり意識できていない美点を見つけられたらなあと思う訳です。
私は家族でもなく長い知人でもないわけで、先入見権がない分、まっさらにその人の美点に向かっていけるわけですから、そう言うアドバンテージを生かして、ついでに「じろじろ見ることを許された」という有利さを生かして・・・・です。
この人のように、何かいっぱい良質なものが出て来そうな人を見るとなおさらそう思うのです。
- 2021/11/10(水) 00:00:05|
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