この写真ではわかりにくいですが細い筆を真一文字に口にくわえています。
小さなスケッチブックに高瀬川の情景を描いているようです。 いつも携帯しているのでしょうね。

私は何時も立ち寄る、この先にあるギャラリーに行くつもりでここを通ったのですが、その「真一文字」のカッコよさに足を止めました。
そして歩み寄りながら「日本語を話せますか?」と、これは実はかなり失礼な質問ではあるのですが、しかしかといってそう訊かないと、私には話始められませんから。
”May I speak in Japanese?” と言ってもいいのでしょうか?
ここで、少しなら話せますという人の多くは、流ちょうに話しますね。

タイから来ているのだとか。無論、日本で働いている方ですね。 今、出入国は大変面倒です。
もう6年在日しているのだそうです。 別れ際にカードの交換をして、驚きました。 超有名企業で働いているようです。なるほど日本語が流ちょうなはずですね。

スケッチブックを覗くと水彩絵の具でよい雰囲気に描かれていて、かなりの腕前と見ました。
なかなか描く時間がなくてとおっしゃっていましたが。
京都に来てもやれ花見小路だ、祇園白河だと言って歩く人もいれば、有名店であれ食べよう、これ買おうという人もいますが、こうしてじっくり京都のたたずまいを描けば、しっかりその情緒・情感を味わうことができるでしょう。

スマフォでパチリパチリと写真を撮ることばかりに熱中するよりずっといいと思います。

岸田内閣が「新しい資本主義実現会議」を設置したとのことです。
岸田内閣の目玉政策だそうです。
派閥の先達者の池田勇人内閣の「国民所得倍増論」の成功の「夢よ、もう一度」ということでしょう。
これに関してはまな板に載せたい問題がいくつもあって、総合的に論じればA4用紙が5枚や6枚では足りないことになるでしょう。
そんな話に付き合ってくださる方はほとんどおられないでしょうから、今日は一つだけ。
まず「国民所得倍増論」はいわゆる高度経済成長期の事で、今と経済環境は内外共に大きく変わっています。だから単純に持ってくることができないことは言うまでもありません。そのことは、今は置きましょう。
この国民所得倍増論には勤労諸階層に対する大きなごまかしがあります。その点だけ。
「国民所得」という言葉を聞けば「国民一人一人の所得」の事だと聞こえますね。それが「倍増!」することを目指すというのですから、誰も反対しないでしょう。それが違うのです。国民所得という言葉はnational incomeの訳語ですが、当時、国民総生産(GNP)ということとまぜこぜに議論されていて、「実質国民総生産(実質GNP) の年平均成長率7.2%を達成する」という風に意識されていました。その目標は超過達成し、年率10%の経済成長となったのでしたが。
国民総生産というのは一国のある年の生産(サービスなども含む)料を価格で表示したものです。つまり国内に生み出した富の全体を貨幣額で示したものです。富の全体が大きくなれば、その配分額も大きくなる、すなわちあなたの月給も倍増しますよという議論です。実際「月給二倍論」なども活字になりましたが、財界の総反発で掻き消えていきます。そこで残るのは国全体として富を倍増させるけれど労働者への分配は後回しにして、配分を増やしたとしても急速なインフレで取り戻すことになったわけです。
つまりはまずは経済成長、しかる後におずおずと「分配」という事でした。
それでも当時の高度成長は世界を驚かすようなモノ・・・それは猛烈社員が家族に犠牲をしわ寄せして「24時間働く」気構えで実現したものですが・・・でしたから実質賃金もいくらか上がりました。しかし、それとて大企業の収益、富裕層の所得増とのとの相対関係ではますます格差が開いていたわけですが。
ここで強調したいのは「国民所得≒国民総生産」と国民一人一人の所得とは同じではないという事です。国民所得を増やすということは「パイ」を大きくすることです。それだけです。それが大きくならなければおこぼれも大きくならないという理屈が出てきますが、おこぼれは「こぼす側の心次第」ですから、必ず勤労諸階層の取り分が増えるという訳ではありません。
そして60年代からこの方、「まずは経済の拡大。しかる後に分配」ということは言い続けられてきたという事です。何も新しいことはないという事。
そして60年代には「福祉社会論」が言われて経済の目的は国民福祉を高めることだとか言われて、利潤優先に従来の資本主義は変わらなくてはならないし、変わることができる。すなわち新しい資本主義になれる=修正資本主義論と言われたのです。
しかし、その後の国内外の経済環境の変化が資本家たちにそんな悠長なことを言っていられなくしたために「資本主義は利潤追求のための社会」、もうけて何が悪いという議論が復活して、「儲けのための「自由」を縛るな、国民・労働者保護のために「規制」は邪魔だ、自由こそ尊いという「新自由主義」が登場してきて、弱肉強食やハイエナ資本主義が跋扈するようになったという訳です。そこにHエモン、Hモトなどというような人物が登場するわけです。
新しい資本主義実現会議には女性を多く選んだと言っていますが、その一人が連合委員長です。労働界の代表を入れたという事でもあるんでしょうが、連合は大企業正規労働者の利益代表であり、経済界の別動隊であるということは隠しようもありません。そう言う人を加えたからと言って女性や働く者の声に「耳を傾ける」ということにならないのは明らかです。
「新しい」ということの決め手は「分配、そして成長」(総裁選中の岸田氏の主張)が、「まずは成長・・それなくして分配は語れない」(今現在の岸田氏の論調)に短時日のうちに変わってきているところに「新しい資本主義」論がまるで古いものであることは隠しようのないところです。
巨大企業、富裕層への課税強化!(私はこれを巨大企業、富裕層への『課税適切化』というべきだと思いますが) これが出てこない限り、どれほど言葉が麗々しく使われようとその内実は少しも変わらないとみるべきだと思います。 これが「新しい資本主義」の一丁目一番地。
- 2021/10/18(月) 00:00:05|
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