京都グラフィエの様々な展示のある中で、一段を私を混乱させた展示。
「写真を使った展覧会ってどう思う?」
この展示を「KG+」に入れることを認めた京都グラフィエの京都グラフィエ主催者の見識が高いという事か。

そのギャラリーに常駐し作家の趣旨や技法について解説してくれる方。
ギャラリストと呼べばいいのか。

さっぱり納得しないで反論する頑迷固陋な私に、倦まないで冷静に根気よく説明をしてくれた。
何しろギャラリーの部屋の入り口にこの人自身の履歴書の裏表がピン止めしてあって、写真と言えばその履歴書の3×4の顔写真だけ。 他には一切何もない展示場。
その写真と実在の彼との間の関係が作品だという。

美術史的な展開を理解しないものにはピカソのキュビズムが分からないのと同じなのか?
写真がこうした傾向を生んでいるのは「見ること」に対する作家たちの混迷から来ているのではないかと私は思っているのだが。
それにしてもこうした大きなイベントだからこそ普段施しない考えや作品に触れられるということは間違いがない。
展示されなければ見られない。 この事は愛知トリエンナーレ中止問題にも通じることだと思う。
異論や疑論を排するところに芸術や科学は成り立たないし、思想の自由はない。
一息入れて、彼の案内でこの作品の作者がこの辺りで見たものを見に行った。 気持ちの良い時間だった。

時事通信(2021/10/01 )が伝えるところにおよれば
「 政府は1日の閣議で、9月17日に死去した竹下亘元復興相を従三位に叙するとともに、旭日大綬章を贈ることを決めた。」たそうだ。
時代錯誤も甚だしい!
- 2021/10/02(土) 00:00:04|
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