京都グラフィエのKG+に参加している方です。まだ現役の学生さんなのに?同時代ギャラリーが推している人ですから注目しないわけにはいきません。

京都駅の東側は京都市立芸術大学の移転を核として再開発が計画され進められている地域です。
市芸が核というだけにこの辺りは文化的な地域にするつもりのようではあります。
(箱モノの建設の前に緑地や公園などを整備し、今後少なくとも100年を見越して道路整備もすべきなのに、惚れるなどを先行建設させている時点で、芸術文化の領域などというのは・・・・震災復興五輪とかコロナに打ち克った証としての五輪だとか言うのと同じ程度に・・・眉唾だと私は感じていますが、
それはともかく、そこにいち早く京都で有名なギャラリーの一つがガレージギャラリーを設けました。
そこがこの人の会場です。

「女だから」「女には」「女として」などなどという既成観念にとらわれて来ていた自分自身をに気付き、それを見つめ直そうという思いから生まれた写真です。
今回の京都グラフィエでは他にも同軸の問題意識をもって作家が複数いました。
やはりこのジェンダー問題は、男女を問わず、今日的で避けることのできない、前進的なテーマだという事でしょうね。

地理的に市内中心部から少し離れたところでもあり、初めての場所でもあったからか、私の言った時間帯では、他に2,3の人が見に来られるという感じでした。
そこで少しゆっくりとお話を聞くことができて、収穫がありました。

写真は同世代の女性の生の日常を撮っています。
この人自身が自分の経験や問題意識を隠さずに示したからこそ撮れたのでしょうね。

私たちが自らの育ちの中で内面化してきた「性意識」は、一朝一夕に取り外しのできるものではないと私は思っています。
共産党が「ジェンダー平等の実現」を党の主要な政策として発表したのはまだ記憶に新しいのですが、党内にこうした問題についての研究グループが作られて全党で研究学習を進めていると聞きます。テキストを作って皆がそれを「正しい」として学べば一丁上がり、とはいかない難しい思想的実践的課題だと位置づけているようです。
その通りでしょうね。

様々な性と性自任の、すべての立場で自己反省と相互批判が必要です。
そしてその批判の仕方に習熟しなくて手はならないと思いますし、法律、制度、言葉を含む様々な文化形態において地道に、しかし意識的に変革を要する問題だと思います。
それだけに、こうした「私の思い」を人々に提示する行為は貴重です。

若い人たちのこうした問題提起に対してロートルは素直に胸襟を開いて受け止め一緒に考えたいものです。
こういう問題で発言している人を孤立させないこと、それが何より大切です。
- 2021/10/01(金) 00:00:01|
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