駅ビルピアノです。
スコア持参で引かれます。 ブラームス、表紙にはそうありました。

先日も触れましたようにBSの番組に世界の空港や鉄道の駅に置かれたピアノを弾く人たちに焦点を当てたものがあります。
なかなかの人気番組です。
この方もそれをご覧になっています。

ご夫婦で海外旅行をよくされるようなのですが・・・・ひょっとしたらお仕事の関係もおありだったかもしれませんが・・・すでにチェコのプラハ駅とマサリク駅とでピアノを弾かれたそうです。
その様子を撮った写真を送っていただきました。

先ほどの番組に刺激もうけて世界の駅に置かれているピアノを弾いてみたいとおっしゃっていて実現に向けて計画しているそうです。
すごいことですね。
私などは相変わらず海外と言えば小豆島か淡路島・・・・・。

声をおかけすると、すぐに撮影を快諾していただけました。
別にだからと言って目立ちたがったり、うぬぼれが過ぎているというような感じは全くありません。極々自然体です。

音楽がお好きで、あの番組の中に見えるような日常の人々との交流を楽しみたいという感じです。

この場所は広い駅の中で、とても静かな場所です。駅員さんの中でさえも「あの、ピアノが置かれている場所はどこでしょうか?」とお訊ねすると「はて?」ということがあるくらいです。
そこに弾きたい人、聴きたい人が三々五々集まります。

各柱の陰にはコンクリート造りのベンチがありますが、そこに中高年の女性がお二人・・・・たまたまここで出会ったばかりの方ですが・・・・聴くのが楽しみで最近来るんです。どなたか次に弾いてくれる人はいないかなあと期待して待っています。
私もお二人に加わって次の人を待っています。

緊急事態宣言の時には、ここに至る経路のずっと先の方で立ち入り禁止にされていて、長い間封鎖状態でした。
それが解けて弾く方も聞く人も少しずつ回復してきているといったような状況です。
お孫さんがピアノを弾くのだけれど直接には聞けない寂しさをこもごもお話しされていました。
ここで弾いてく入れるといいのにね・・・と。
記念にご自身のスマフォで撮ってくれないかとおっしゃるので、私のカメラで撮ってお送りしますよと・・・。

オリ・パラの開催が目の前に迫ってきていますね。このオリ・パラが国内外のCOVID-19の一層の拡大を惹起しないかという心配の声が高まっています。それに対して政府も組織委員会も「バブル方式」を徹底するので大丈夫だと言います。
それで、批判的な人たちやマスコミは「バブルに穴をあけるな。」と言います。
私は一面ではこの声に同調するものです。が、しかし、ここに大きな見逃すことのできない問題があると思っています。
開催に賛成する人たちも反対する人たちも感染拡大につながらないために「競技者たちはルールを守るだろうが、その他の大会関係者、ことにオリ・パラ貴族たちとそしてマスコミの人間が果たしてルールを守るのか疑問だ。徹底的に守らせろ。」と言います。
確かに競技者はルールを破れば厳しい罰が待っていますから、大方は守るでしょう。そうあってほしいと思います。(しかし、このような「閉じ込められ行動制限される」ような事前の環境の中で、競技者としての十全なパフォーマンスが発揮できるだろうかと思って大いに同情してしまいます。日本の競技者たちははっきりと有利でしょうね。フェアではないと思います。)
それはともかくとして、私が危惧するのは様々な取材陣たちです。それは彼らマスコミの人間が果たしてルールを破らないだろうか、マスコミの人間・記者なんていうのはどうせ多かれ少なかれどこか反社会的な面があるのだから、そういうことは期待できない。だから徹底的に監視して一歩たりとも一挙手たりともバブルの外に出さないことが肝要だと思う・・・・からではありません。
私はそもそも記者たちをバブルの中に閉じ込めて良いとか、閉じ込められるものだと考えるのは根本的に間違っていると思うのです。そのことを日本のマスコミの大半が指摘しないのは日本のジャーナリズムが深刻に根腐れしていることを示していると思います。
ある日本の記者が言っていました。海外の記者がバブルの中に閉じ込められるのは辛いでしょうね。私なら日本の名所や名物に触れてどんどん発信したいし、日本としても発信してほしいですよね。それがオリンピックを開いて世界から人を招く理由なんですからと。これを聞いて私は、いまさらながら溜息が出ました。
そもそも海外からの記者たちは日本に観光に来るのではありません。無論、幾分かはその要素はあるでしょうし、日本の記者が国際大会に派遣されるときはほとんどそういう気持ちなんでしょう。加えて、彼らは寿司、芸者、富士山を世界に広めるために来るわけではないのです。日本国民や政府にとって都合の良いことばかり見てくれるわけでも、見ようとしているわけでもありません。
例えば、日本が、今や世界も日本もCOVID-19のパンデミック下にありながら、なぜオリ・パラを強行するのか。まして国内では「非常事態宣言」などというものが発出されて、政府国民を上げて「非常事態だ!」といっているのに走ったり泳いだりボールを追いかける祭典に熱心に取り組むのはとても正常な心理とは思えない。オリンピックに対するそういう特異な心理を持った日本人を分析して、自国国民に知らせたい。その背景にある政治・経済・社会心理などを読み解きたいという問題意識を持つ記者がいても何ら不思議ではありません。当たり前です。そういう記者が宿舎と競技会場とそれを結ぶ動線の中にだけいたのでは取材になりません。そう言う記者たちが、ルールをそのまま鵜呑みにして受け入れるはずがないじゃないですか。記者魂が許さないでしょう。
東電の福島原子力発電所は依然として深刻な事故のままであるのに、「震災復興オリンピック」などと銘打ってオリ・パラを強行するのはどういうことなのだろうか、何か思惑があるのか。それに対してまともな国民なら黙っていないはずなのに唯々諾々と開催に同調する日本国民の摩訶不思議な心性・政治意識について取材してみたいと思う記者がいて、オリンピック取材に並行してぜひ取材しようと思うのは、これまた、あまりにも自然です。聖火リレーは復興の実相の見えるコースではなくて、見事に復興なったと化粧したような場所だけしか見せないやり方です。もし仮にCOVID-19の広がりなどなくて、全面的に「震災復興オリンピック」となったとしたら如何に欺瞞的なそれになり果てていたのだろうかと想像するだに、オリンピック行政の思考のおぞましさ、を思います。
この化粧の下にどんな日本が、震災復興の実相があるかと「嗅ぎまわる」のが記者魂じゃないですか。そういう記者が宿舎と競技会場とそれを結ぶ動線の中にだけしかいられない、福島をさえ訪ねることができないなどということを受け入れるはずがないじゃないですか。
もう10年も前に、お隣中国に一年のGDPを追い越され、さらに今では対中国の2分の一でしかなくなってしまった、かつてアジアの、いや世界の奇跡とまで言われた高成長を実現したあの日本経済。ソニーを生みトヨタを生んだあの日本経済は一体どうなってしまっているのか。そのことと今度のオリ・パラはどういう関係にあるのか取材してみたいと思う記者がいたとして、これまた当たり前です。記者魂がうずくでしょう。
ぼったくり男爵たちはオリ・パラ期間中どのような人と出会い、どのような振る舞いをするのか。競技会場でのご機嫌で取り澄ました姿の背後に何があるのか。夜はどう過ごしているのか、徹底的に取材して、オリ・パラ貴族の実像を明らかにしたいと手ぐすねを引く記者がいなくてはおかしいです。
こうした問題意識を持ち、たとえ日本政府が規制をしようと、バブルの中に閉じ込めようとしてもそれを抜け出して取材に奔走してこそ記者魂といえるでしょう。
TVの報道で、「不良記者の行動が心配ですね。」みたいな発言に「うんうん、その通り。」とばかりにそれを垂れ流すような日本のマスコミ、記者が「ルールブック」にかみつかないのは、とっくにそうした記者魂の歯が自分自身にないからにほかなりません。
日本の記者ならメダリストが出ても日本の競技者でなければ興味も関心もなく、自国のメダリストに表彰後のインタビューで「今一番食べたいものは何ですか。これから何をしたいですか。帰国後の祝勝会ではどんな服を着たいですか。」なんて質問をしかねないくらいのものですから。
勿論、一部のジャーナリストたちがこうした点について危惧の念を表明していることは知っています。しかし、TVなり新聞なりの記者たちが全てメダル争いに夢中になるし、そういう関心しか持っていないなどと想像する国民では困ると私は思います。また政権がお仕着せたルールに唯々諾々とおさまるのが記者だなどというのは日本の記者標準でいうことあってまともな自由の国の世界標準ではないのだということを、声を大にして言いたいと思います。
ではそういう記者の行動と感染防止とをどうやって両立するのだという人がいるでしょうか。それはたいして難しい問題ではないと思います。ぜひご自身でお考えになってみ見てくださいとお願いしておきます。記者たちの取材の自由、報道の自由を奪ってはなりません。そのことを前提に考えたいものです。
- 2021/07/19(月) 00:00:04|
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