COVID-19がまた広がりだしたし、梅雨だし、・・・・、なかなか外に出られない。
雨に降られたら雷鳴も降り方も猛烈ですしね。
歯痛もあってグズグズしていましたがやっぱり外に出ないと・・・・。

私はH下とかH江とかいう人たちみたいに愚かでも欺瞞的でもありたくないのです、ワクチンを二回接種して一週間を経過して、それでもちゃんとマスクもして他人に会いますよ。
周囲に人がいないところ自転車で走るときにはマスクは外しますが。
今日は駅ビルの・ピアノに来ています。

私は知りませんでしたがTVで取り上げられたんですかね、ここのピアノ。
それにBSの番組で世界の空港においてあるピアノを楽しむ人たちの様子を伝えるものがありますね。
好評なようで、我が家でもよく見ます。 私も見ていますという人に良く出会います。

物心ついた以後の人で私のブログに登場する最年少者ですね。
お父さんと姉妹で見えていました。
それでお父さんにお願いしましたら即諾してくれて、この二人にも「写真撮らせてもらっていいかな?」とお願いすると、お父さんの方を振り返って「どうしよう。」
で、お父さんが手指で「OK」サインをしてくれたので、にっこり笑って応諾してくれました。

周囲に上手な人がたくさんいるときにはちょっとたじろいでしまうそうですが、今日はたまたまそういう人の影はありませんでした。
ご近所で時々来られるのだそうです。 いいですよね。

見守るお父さんの笑顔や、先ほど二人がお父さんの方を振り返った時の表情からすると仲の良い親子のようです。

お父さんには私のカードをお渡ししましたが肝心の事「メールをいただければ、返信に添付して写真を送ることができます。」ということを言い忘れてしまいました。
こんな可愛い様子が撮れましたから、残念です。
お父さんへ。もしこの記事をお読みでしたら、ぜひ私宛にメールをお送りください。写真をお送りします。
報道によれば「政府分科会の尾身茂会長が15日の参院内閣委で『もうそろそろ人々の行動制限だけに頼るという時代は終わりつつある』と述べ、PCR検査の拡充や下水調査に予算を使う必要性を指摘したことに言及し」たそうです。これに対して、「今頃になって」「遅すぎる」という批判が多く上がっています。
なる程、わたしもそう思います。本当に何をいまさらという感じがしますね。しかし、私がこの尾身氏の発言を聞いて、この人これからも同じような間違いを繰り返すのだろうなあ、事態を少しも科学的に省察する気がないのだなあと思いました。
というのも「もうそろそろ人々の行動制限だけに頼るという時代は終わりつつある」という認識自体が間違っているからです。状況が変化してきたので、新たな手法を採らねばならなくなったという認識は誤りです。「PCR検査の拡充や下水調査に予算を使う必要性」は一年以上前からあったのに、それに対して一貫して消極的な姿勢をとってきたのは尾身氏をはじめとする専門家と厚労省の技官たち、それと自公政権です。こういうことをさほど必要としないというか、そこに金をかけたくない、やりたくないという考えをずっと持ってきたからこそ、人流抑制や飲食店締め付けばかりに偏頗した取り組をしてきたのです。
事態が変わったから手法を変えるという言い方をしているのは自身の誤りだったということを言いたくないからです。
では事態の変化とは何かというと、人々が緊急事態宣言を出しても行動変容をしてくれないという事です。すなわち彼らの決め手である人流抑制が効かなくなっているという事です。それを「人々がコロナ疲れ、緊急事態慣れ、お酒の飲食店の限界も聞こえている」という風にいっています。あたかも国民の「気の持ちよう」に問題があるかのように、これを慣れとか緩みとかいう風に表現されることもありますが政権や分科会に対する不信と反発があることを敢えて見逃しています。
感染の連鎖を調査することができなくなっていて半数以上が不明です。そして突き止められた中では飲食店でというのは10%にも満たないのです。ということは彼らの手法で感染源を割り出して手を打つということがずっと前にできていないうえに、やりやすいことしかしていないということが分かります。内閣官房は感染の温床たる飲食店+飲酒を「敵」に仕立てて、一挙に強権発動をして、この際こういうやり方に国民を慣らし、強権的「私権制限」(これは橋下某氏も大好きですね)の必要性を黙認させるという政略さえとっているのです。
これまで人流抑制をすれば経済を回せないという点で財界の不満も合ったわけですが、財界は溢れんばかりの政府の支出によって株価の異常高騰が生じて・・・・日銀はそれを追認し、以前としてゼロ金利政策と金融緩和を続けていますから・・・・株価上昇で損失は補填されるばかりか含み資産は膨張しているのですから、ずっと政府から保護され続けていて痛痒を感じないのです。
しかし財政を検査拡充や、医療資源の拡充に充てる、あるいは営業自粛に対する補償や生活、生業のダメージを補償することには極力財政を使いたくない。加えて「ワクチン、検査、QR、二酸化炭素モニター、下水調査すると分かる可能性、そういうものに対して今まで以上に加速してもら」うことには自公政権も分科会自身も消極的だったわけです。
困ったことに尾身氏は「ワクチン、検査、QR、二酸化炭素モニター、下水調査すると分かる可能性、そういうものに対して今まで以上に加速してもら」うことが必要だと、実にまっとうな・・・・遅くてもあやまりを正すことは必要ですよね・・・ことを言っているのですが、その理由を政府がそう言うことに取り組めば「国民もそこまで政府がやるんだということがあれば、もうちょっとだけ頑張ってみようという気が起こるのではないか」と言って、国民の「気持ちの緩みを」たてなおすことにその目的を置いているのです。
政府がやる気を見せれば国民の緩みも引き締まるという極めて情緒的な問題にしてしまっているのです。
せっかく、これまで軽視してきた「ワクチン、検査、QR、二酸化炭素モニター、下水調査すると分かる可能性」について言及しているのにその科学的な必要性や可能性の上に、真に感染防止態勢をリストラするというのではなくて、メッセージ性でしか考えていないということは、事ここに至っても彼らの感染予防対策思想の変容にはつながっていないという事です。
付け焼刃でさえないという事です。
分科会の医療専門家たちも、厚労省も検査抑制論を基軸にしてきました。マスコミにもてはやされる一部コメンテーターもそうです。それで最近では尾身氏も検査拡充をと言っています。でも、そこに何らの総括・反省もないということに、彼らが少しも科学の立場に立っていないことが露呈しています。
これでは、『もうそろそろ人々の行動制限だけに頼るという時代は終わりつつある』などと言ってもほとんど期待できないということは、残念ながら明らかだと思います。
私は自公政権とともに、こうした医療専門家も一年以上彼らのやり方、考え方でやって来て「失敗」を繰り返しているのですから、可及的速やかに彼らを批判してきた専門家に席を譲るのが筋だろうと思います。
『もうそろそろ人々の行動制限だけに頼るという(わたしたちのやり方が通用すると思い込める)時代は終わりつつある』ので、別の方々に交替をお願いするしかないというべきでしょう。
私は「遅すぎる」という批判は、尾身氏をはじめとする専門家に対する批判としては、あまりにも甘すぎるし、楽観的過ぎると思います。
- 2021/07/17(土) 00:00:04|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0