
私が自転車ではしているときでした。
住宅地の細い道路の交差点で、私が左右を確認して走り抜けようとするとき、彼は右左、そして私の進行方向に目を配って、危険がないことを確認して、私を誘導してくれました。

工事の現場を通り抜けるのではなくて、そこから少し離れた場所でのことです。
私は、一旦はそのまま通り抜けてのですが、彼の仕事ぶりの丁寧さと親切な心配りが心に残って、取って返すことにしました。

私が話しかけて事情を説明すると「恥ずかしいけれど・・・。」と言って撮影を承諾してくれたのです・・・・。
写真までと撮ってくれなくても、そういう風に声をかけてもらえただけでもうれしいので、と少し引き気味でしたがお願いしました。
その時はもうすでに作業は終わって撤収、移動のタイミングでした。
しばらく先まで行き過ぎた時間が「惜しい!!」ことになりました。
やはりチャンスは前髪を掴むべきでした。 いつもそのことで悔やむので、今回は何とか翻意して帰ってきたのですが、それでも、やはり、後ろ髪になってしまいました。

彼を追いかけて撮っていると電話線工事をしていた人たちが「おい、写真を撮られてるぞ。」とからかい半分に声をかけました。
それで、彼の仕事ぶりがとてもよかったので・・と説明をしたのです。すると「彼はとてもまじめに働いて、感心してるんだ。」と声がかかりました。
やはり普段からそうなんですね。
私は、もう移動なんだな、迷惑得緒かけてはいけないから引き上げようという気持ちになって「ありがとう。」と言って立ち去ろうとしたのです。
そこに彼が近づいてきてくれたのは・・・・・後から考えてみるに・・・先輩たちから少し時間をもらってカメラに収まろうとしてくれたのだと思います。
それに気づかない私。 私にはこういう迂闊さが常にあるんです。困ったものです。
本当に良い青年でした。

梅雨が明けてからの20日間くらいは私が一年で最も好きな時期なので、今はそれを楽しみにしています。
でも今年は、いつものように晴れやかな気持ちで暑さやあの青空に高く湧き上がる積乱雲を楽しめるかどうか。
嘘とペテンのどす黒い塊となってしまったオリ・パラ。
日本の行政力も政治力も世界の劣等生であることが日に日に明らかに露呈される現状。
着実に進行する格差拡大と貧困の深刻化。
本当に気持ちが暗くなります。
そんな気持ちを抱えているときに追い打ちをかけるようなニュースに接しました。(そう言う意味で毎日そうした暗澹の種が乱射されているようです。)
こんな風に書いているのですからどなたもこの先を読む気にはなれないでしょうね。せめて書き出しは明るく楽しそうに、例のあの人たちのように羊頭を掲げるべきなんでしょう。
で、それはどういうことかと言いますと。
大阪の吉村知事は二回目の緊急事態宣言を解除する際に政府を突き上げて真っ先に解除要請をし、事実一週間解除を早めました。それが大失敗であったことが大方の批判を浴びて彼の心にも多少の曇りとなったのでしょう。しかも、その後、直ちに新型コロナ用の重症病床を削減してしまったのですから、過ちは二重になったのです。その結果、大阪は全国最悪の死亡者数を数えてしまいました。重症病床は不足して使用率が100%を超えました。中等症用のベッドに重症者を収容するしかなくなり、ホテルや自宅で療養を強いられた人の中から死者を生んでしまいました。政治の大失態です。
それで彼は彼なりに反省をしたのでしょう。直近の緊急事態宣言の解除については慎重の上に慎重であるというポーズを強調していました。それに加えて感染の第五波に備えて重症病床を350から500に積み増しすると発表したのです。それを聞いて彼も十分に懲りたのだろうと思った人もいたでしょう。いくら維新政治家が独善的で役に立たないものに金をかけられないと考えているにしても、こうして現実を突きつけられれば嫌でも軌道修正をするのだろう。多少は心を痛め、そういう受容性というか柔軟性くらいはあるのだろうと。
吉村氏が重症病床を500に増やさないと、再び大変なことになると考えたのは本当かも知れません。本当でしょう。何しろ重症病床が350床のところ、最大で449人も重症者が出てしまったのです。(まあそれで政府の方がベッド使用率の計算法を変えて、使用率が100%以上にはならないようにしてくれたのです。大阪の失態が露見しないようにという菅政権の温情でしょう。ここで菅政権が売った恩を維新はどう返すのか注目です。)
最大で449人もの重症者がいたのですから500床にベッド数を拡張しておこうというのは、理屈が通っています。
ところがです。その、如何に何でも目標が高すぎる、実現性がないとまで言われて掲げた500床に増やすという前言はあっさりと覆されました。6月の20日には重症病床を350から250に。中等症病床を2350から1700に600床以上も減らす!!と発表したのです。
東京では感染者数が下げ止まりを見せ、感染力が増大したデルタ株がすでに関東を中心に広がっていて、その上にオリ・パラが強行開催されそうだ・・・・となれば感染拡大と、あの悪夢の医療ひっ迫は現実的に目前だと予想できるにもかかわらずです。
専門家も7月から8月にかけての期間に緊急事態宣言を発しなければいけない事態になる可能性が高いと指摘していて、・・・ワクチン接種も追いつかないし・・・何一つ安心できる条件がないのに、です。
呆れます、開いた口がふさがりません。大阪維新府政は日本最悪の状態を生み出したことを真剣に反省していないのでしょうか。
吉村氏は必要になれば一週間でまた重症病床に転用できるようにお願いしてあるとアリバイ作りをしていますが、
いったん重症病床であることを解いて普通病床にすれば、さあ必要だとなってもそうは簡単に戻せないということは前回厳しく指摘されていたのです。
吉村氏や大阪の府の役人たちはなんて愚かなんでしょう。
いや、しかし、さすがにただ愚かというのではないでしょう。愚かなんでしょうか。
と、そこで思い出しました。吉村知事が病床を削減して世の批判を浴びた時に彼の師匠というか影の操り人というかよく分かりませんが、橋本氏が大いに吉村氏をかばって知事経験者でもないただのコメンテーターや学者「風情が」あれこれを言うのは屁みたいなものだ・・・発言を圧縮して私の言葉を補っています・・・といっていました。当事者には外野にわからない苦労や考慮しないければいけないことがある。その中で判断をすることを求められる知事を批判するなと・・まあそんなようなことでした。
多分それは実情を知る橋下氏の正直な言葉だったのではないでしょうか。
吉村知事にはほかに選択肢はないのだ・・と。
この500床に増やす必要があるという吉村氏の思いが本当だとしましょう。一方、橋本氏の、吉村氏の100床削減に対する擁護の発言の気持ちも「本当」だとしましょう。
ではこの二つの「本当」を結ぶのは何なのでしょうか。
500床に増やしておかないとまずい。そう言うことが分かっていながら、逆に100床も600床も減らしてしまう。これはどう結びつくのでしょうか。
その答えは、大阪維新政治のもたらした医療行政・医療実態の深刻な脆弱性があると私は推測しています。
前回も今回も重症病床をとにもかくにも確保した。が、一瞬なりとその状況を維持しておく力は大阪にはないのだという事です。宣言解除後にしばらく様子を見るなどという余裕もなければ、ましてや増やすなどということは誇大妄想でしかないという現実です。
新型コロナ重症病床確保のために犠牲にしてきたその他の病気の重症者の切迫した状態、一般病床転用の負荷に耐えがたい病院と患者の状況。これの根源が厚労省に追随して、いやその先行者として一層熱心に病院の統廃合に努めてきたこと、医療関係者の人員削減・労働強化によって、そもそも通常でさえ医療現場が疲弊しきっているという事。そのことがあるのだと思います。
それの主導者であった橋下氏は「戦犯」としてよく分かっているのです。
吉村氏は前回の誤りを挽回するために威勢だけは大げさに見せて、500床に積み上げるとはいったものの、自身のこれまでの府政によってその条件はすっかり涸れ切ってしまっている。それで府幹部・医療関係者から「無い袖は振れません。」と。「実態、現実を見てください。」と言われたのではないでしょうか。
それで前回も、今回もその現実に制約されて重症病床を削減しているのでしょう。この実情を知らないものが軽々に批判するな!という橋下氏の主張には一理あります。
ただ、その現実=脆弱な医療体制を作ってきたのが、他ならない橋下氏であり、松井氏であり、現知事の吉村氏だということ、そのことを棚に上げていては、彼らの発言に同情・共感することは毛、一筋もできません。
維新政治とは、維新政治家の発言とはこういうものだという事です。
大阪の人たちも高い授業料を払わされているということでしょう。
対岸の火事とはとても言えませんが。
- 2021/06/24(木) 00:00:03|
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