「絵を描く釣り竿師」という表題は、実は、正しいとは言えません。というのもこれまでも釣り竿をつくてきたけれど、これから本職として作っていこうかと思っているというのがご本人の今現在のお考えだからです。
竹を素材として作る「和竿」は『釣りバカ日誌』の浜ちゃんがよい竿を持ちけて幾日も幾日も、竿屋のショーウィンドゥを覗き続けたことからも、ある種の釣り人にとってはあこがれの的なのです。
最近は琵琶湖などではバス釣りなどが盛んなようで、カーボンの釣り具が使われるようですが「釣りはフナ釣りに始まってフナ釣りに終わる」ということを言う人にとっては竹の竿が究極なのでしょう。
そんな漆塗りの「和竿」を作られるのです。
竿の話になると表情は一段と輝きます。
[ 右手後ろに見えるのがこの方の絵です。色遣いが素敵です。これらの絵には具体的な景色の取材が基底にあるのだそうです。 ですから誤解を恐れずに言えば風景を見て書いているのです。]
(⇔)

ここで私は今まで目にも耳にもしたことのない言葉を聞きました。
「具象的な竿ではなくて抽象的な竿を作りたい。」
「抽象的な竿???!!!」
みなさん、こんな言葉をご存知でしたか?
効率的・機能的に釣ることのできる竿ではなくて、水の流れや魚と対話できる竿、釣り人の心を受け止めて宿すような竿・・などと言葉を置き換えても「抽象的な竿」の意味は表現できないようです。
いま求めておられる竿の根元から先までの動きの様子を話してくれています。
(⇔)

撮影者の私は対話の当事者でもあります。まして初対面で初めての興味深いお話をうかがうのですから、一層話の中に入り込みたいのです。でも撮影者としては当事者性を越えなければなりません。
ここが「モデル」を撮ったり、手作り市などで「撮らせてもらう位置(立場)」から撮る時とは違うのです。

人を撮る面白さと難しさのもう一つのパターンを経験しました。
それにしてもこういう「すてきな人たち」とお会いできるのは本当に幸せなことです。
- 2012/03/15(木) 00:07:02|
- 絵画
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0