ここで30人くらい撮ってその写真をこの周囲に展示してみようかな。
京都駅に掛け合てみようかな。柱が何本もあるので30枚くらいは貼れるでしょう。
そうしたら少しはこのピアノが話題になって・・・・・却って利用者には迷惑がられるかな。
弾きに来る人が増えて順番が回ってこなくなったって。
それでも面白いと思うけどなあ。
そのためには見てもらえるような写真を30人部くらいは撮らないとね。
今までとはちょっと趣の違う個展になるかもしれない。 でも駅ビルの壁面は容易に貸してもらえないだろうなあ。
「他の人も申し込んで来たら収拾がつかなくなる。」と言うような「官僚的返事」が予想できる。
でも一度試す価値はありそうです。
第3次の5カ年では少々冒険しないとね。余命はたいして残されていないのだから。
そんなことがもし実現したら私がここに出没して写真を撮らせてくださいということが「よくあること」になってハードルが低くなるんじゃないかなと思うんです。
もっともこれも、あるいは逆に、あそこに行くと変なオヤジが写真を撮りたがるから、どうも行にくなったなあということになったら困りますけどね。
30人を撮るには、今年一年くらいはかかるかなあ。
そんなこととを思ったら、又一喜一憂の新しい種ができるかもしれないですね。
一喜一憂の種は多い方がいい。
うん、これは案外いいアイディアかも知れない。
先日、札幌でオリンピックのマラソンの「お試」がありました。それについていろいろ意見が交わされています。ある若いコメンテーターが「私も聖火ランナーをお引き受けして走りました。それをとても誇りに思っていました。ですが、新型コロナ感染症の広がりで公道を走ることができない地域があって、知事さんがそれを実現できないことを涙ながらに伝えていました。聖火ランナーをしたことを誇りに思うということを表立って言いにくくなっているのが嫌です。(大意)」と言われていました。
国民の7割ほどがオリンピックの中止か延期を求めている事態にあって、まだ喜々として聖火ランナーを務めたり、オリンピックへの代表選考を通過できたことを喜んで、「頑張ります=オリンピックに参加します」と手放しで言えたりするのはあまりにも社会意識が貧しいと私は思います。
日本国内で感染が縮小してきたとか、感染予防対策を「万全に」するからオリパラを実施できるなどというのは、とんでもなく狭小で共感性に乏しい発想です。
今、インドはすさまじい感染状況ですし、中米でも感染は拡大しています。ワクチン接種が進んで感染が減っているとはいえUSAも日常を完全に取り戻したわけではありません。アフリカは数こそ激甚的に増えているわけではありませんがワクチンの多少の供給を有効に活用できない注射器の決定的不足に悩んでいます。
そう言う世界の人々≒競技者たちの現状を想像した時にこの夏のオリンピックを強行することができると考える人は、またやったほうがいいと思える人はあまりに自己中心的だと私は思います。
そして、世界の目は日本の感染予防対策の劣悪さや右往左往の状況に対して、いささか軽蔑のニュアンスを含んでさえ、注がれていることを知らなければいけないと思います。
そうした中で「お・も・て・な・し」などと言っても誰も喜べないでしょう。
しかも東京電力福島原発の「トリチウム含有水の海への放出」を強行しようとしている=アンダーコントロールできていない(発電所の前の海までで閉じ込めると言ったじゃないか?!)こともまた、そんな国に出かけて行って競技したくはないと。(そういう声が上がるのは決して中韓の策謀なんかではありません。)
そんな中でオリンピック開催に協力したり、その一旦を担うことを「誇りに思う」なんて言ったりするのは、井戸の中のカエルも笑うほどの狭い料簡じゃないかと私は思います。
いまや競技者たちも含めて、
もういい加減、オリパラ幻想を捨てて目を覚ましませんか。
(あなたがオリンピックに参加して競技をしたいということは、こんな感染の広がりのある時に、多数の死者が日々、出ているときに、東京や大阪や北海道や沖縄や・・などから発せられている「看護師が足りなくて助けられる命も助けられない」という声をよそにオリンピックのために≒私が競技をするために、、看護師500人を調達してくれと言っているのと同じなのですよ。勿論こうしたことを考えて心を痛めている競技者も少なくはないと思いますが。)
追伸:競技者がこうした状況を踏まえて自ら発言しない、又発言できない状況についても、私たちは本気で考えないといけないと思います。
彼らを責めるという意味ではなくて、ほとんどプロ化した彼らは資金提供者、支援者たちの意向に絡めとられて「自律」的に考え発言し行動できないのではないかと思います。 若い彼らに、それを断ち切って自主的な発言・行動をしろと求めることは酷かもしれません。が、スポーツマンもまた一市民ですから、それを避けて通ることもまたしてほしくないと願います。
またスポーツ界にある競技団体やその役員の意に逆らえば競技者としての活躍が阻まれかねないという圧力を感じる現況が問題です。完全な縦社会であり、「無理偏にげんこつ」の気風が必ずしも過去のものでないことは、そこから輩出してきている体育教師の精神的な気風や仲間の中での行動様式を見れば一目瞭然です。この縦社会の頂点が協会の上に立つ文科相であったり政府であったりするのはごく自然なことでしょう。
若い競技者たちに向かって「おまえたちは余計なことを考えずに練習に専念すればいいんだ。」などとコーチたちが言っていないかを心配します。コーチや監督たちもまたそれを・・・動機は何であれ・・・・「余計なこと」として片付けているかもしれません。
- 2021/05/07(金) 00:00:05|
- 音楽
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こんにちは、
ぜひ30人のピアニスト達の写真展進めてください。
とてもいいアイディアだと思いますね~
ダメもと…いえ企画力の勝負を正々堂々とやりましょうよ ! !
何事も動き出さねば始まりませんから…関東より応援してます。
- 2021/05/07(金) 16:45:51 |
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- MINA #-
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応援ありがとうございます。 緊急事態宣言で出鼻をくじかれましたが、挑戦してみようと思っています。ピアノが自由に弾けるようになるのは来月に入ってからでしょうかね。「何事も動き出さねば始ま」らない至言ですね。
- 2021/05/07(金) 21:06:18 |
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- soujyu2 #-
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