もしリタイアした時に、郷里に帰っていたら、今とはずいぶん違う生活をしていたことでしょうね。
写真を撮るようになる可能性はとても小さかったと思います。(私は旧職に就く前から、退職後ににやろうと思うことがあったのです。そしてそれは、もし郷里に帰っていれば十分意味のある選択肢だったと思います。)
カメラを取り出すことは多分あったと思いますし、撮るならやはり人を撮っていたとは思いますが、被写体のジャンルは随分違っていたのではないかと思います。

こうした職人さんをたくさん撮ることができるのは京都にいるからだということができるでしょう。
「人間 万事塞翁が馬」「禍福は糾える縄の如し」

畳を縫う時に下から針を刺して、上に糸を抜くときに肘をてこにして「クィッ くぃっ」とするものだとばかり思っていましたが、「そのやり方は関東のものです。」なんだそうです。
私は静岡県の生まれですから、「多分関東圏なんでしょうね。」
それに畳床が昔は藁で強い弾力性・強度があったからこそ、そうしてけれど、今それをすると畳床が凹んでしまうのだそうです。

時には畳の長さが通常の1.5倍もの物を作ることもあるんだそうです。
京都には様々な神社仏閣がありますから、そういう中には色々<特別>があるんだそうです。
その「特別」は畳だけではありませんね。 その特別は全国にある末寺末社との「特別」のためでしょうから、まあ私なんかからするとそこが鼻持ちならないというか・・・・・。
田舎者ですから。

でも京都の職人さんはその特別にない並みならない技量を注がなくてはならないわけで、自ずと職人の腕も磨かれていくわけです。
ある別の場所で、各別な技量をもって神社の仕事をしている職人さんが、神社仏閣が「なかなか金を出さん」と嘆いておられたことを思い出しました。つける注文はやたらに多いし無理難題も多い。そこに権威に任せた応対があるから、実にやりにくい、と。

本寺、本社の多い京都ですが、それぞれが「御用達」の店や職人を抱えているわけですね。
私はそういう内側の事は、ほとんど全く知りませんが、とにかく出来栄えばかりを見て、ほーっとかへぇーとか言って感心ばかりしているわけです。
畳表に使うイグサも、良いものを手に入れるのは、もはやなかなか難しいことになっているのだそうです。

ことしの桜の開花は早いですね。植物園の西側を南北に通る「半木の道」沿いには枝垂桜の並木があって、毎年だと四月に入ってもなかなか咲かないのですが、今年は既に3,4部咲いています。そしてさらに遅く、しんがりを務める仁和寺の桜ですが、こちらも既に3分咲きだそうです。
写真は別の場所で撮ったモノですが、



- 2021/03/31(水) 00:00:03|
- 働く人々
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0