いわゆるストリートピアノ・・ですかね。
地下鉄・京都市役所駅のある地下街です。 ここにスタンド・ピアノが置かれています。
通りかかると一人の青年が弾いていました。

BSの番組で世界各地の空港や駅などに置かれているピアノを囲む人たちの様子が伝えられるものがあります。ちょっと好きな番組です。
日本でも、都庁のピアノとか、浜松駅のピアノとかが有名ですね。(浜松駅の場合、新幹線の構内ですから最低でも入場券をもたないと弾いたり聞いたりできません。最高級に属するピアノを置くこともあるようなので、「新幹線に乗るような人」にその利用の機会を提供するということについて、当然と考える人も中にはいるかもしれません。が、そもそもそういう思考・文化観でピアノをフリー(?!)で弾けるように置くということについて、私はものすごい違和感を感じています。ピアノの町が聞いて呆れる、と私は感じています。)

私がここに着いた時には曲の途中でしたし、写真を撮っていいかどうか確かめることでできませんでした。 ピアノは前に回り込んで「撮っていいですか?」とサインを送ることもできません。こういう点で厄介です。全くこちらのご都合ですが。
それで、撮り始めて、後で確認しようと決めて撮り始めました。 でもそういうときは、やはり何か踏み込めない中途半端な写真になってしまう様な気がします。
(演奏しながら「勝手に写真を撮っている!やだなあ。」と思わせてしまっていたら、きっとピアノを弾いていても気持ちがよくないでしょうしね。)

演奏が終わって立ち上がった際に、「お許しなく撮り始めてしまいましたが、大丈夫でしょうか?!」とお訊ねすると、笑顔で「はい」と答えてくれました。
ピアノは10年ほど続けているんだそうです。

周囲には次第に人が集まってきていて、曲の終わりには結構大きな拍手が寄せられました。
この人が席を離れると、ご高齢の女性が弾き始めました。 やや指の動きがぎこちないところもありましたが、こういうところで弾いてみたいなと思われて弾けるというのは実に羨ましいことです。きっと長く音楽を楽しんでこられた方なんでしょうねぇ。
音楽は人生を豊かにします。

それにしてもこのピアノの置かれている場所の雑然としていること。
おかれた「様」の美しくないこと。 置いていること自体についてはとても賛同しますし、歓迎します。が、何を思ってこんな場所に、こんな置き方をしたのか。これを検討した人たちに尋ねてみたいと思いました。
美しくない!!

多分色々考えたんだろうと思います。いろいろな声に対して「忖度」したんだろうと思います。
その結果、何とか実現するためには「これで仕方ないよね。」と納めたんだろうと、勝手な想像をします。
いかにも日本的なというか役人的(これを「役人がしたということではなくて役人的なという意味です)な発想だろうと私には感じられます。
使用可の時のこの鎖の始末の仕方、使用にあたっての注意書きの置き場所、手指の消毒のためのアルコール容器の置き場所・・・・みんな、どう見えるかについて「美的」に考えられていない。

ピアノは弾いて楽しむ、聞いて楽しむためのもので「写真を撮る人間の意見など聞いていない。」という声が聞こえてきそうですが、問題はそういうことではないのですね。
ここに子供たちが来て、ピアノに接するとき、音楽に接するときに肌で吸収する文化についての配慮がないのです。
これが文化庁を招いて「文化」を前面に押し出して「観光行政」をするような、そんな京都の町の一状景なのです。
京都も一進一退。
でも何よりこうして弾いて楽しむ人がいてこそ、聞いて拍手する人がいてこそ、文化・・ですね。
そしてそれを喜んで撮る人がいることも(笑い)
- 2021/03/11(木) 00:00:02|
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