「私は性の問題に直面することが多くある。それは現代がそう思わざるを得ない社会であるからなのと、私が敏感に性を認識してしまうからである。社会に対して私が何を考え思っているか、あとなぜこれ程まで私が性に執着しているか、その心理を知るため私は作品を作っている。」と作者自身の「展覧会の内容」という文章がありました。

数年前に、やはりここでこの人の個展があって、同様の作品を見せてもらいました。
表現は、一見なかなか衝撃的ですが、ポルノでも際物でもありません。

写真に写っているのですから、当然、作者自身と少しばかり対話をさせていただきました。
例の、森発言とそれに関する自民党のお歴々、そして女性議員たちの言動を見ると、ここでこの人が考え、発していることなどまるで受け入れられないでしょうね。

とにかく小学校での性教育を、花の雄しべ雌蕊でしか考えられないような、へたをすればコウノトリが運んできたということでいいじゃないかとしか考えられないような、方々ですからね。

ギャラリーによってはこういう作品を忌避するところもあるようです。
逆にこういう展示をさせてくれるギャラリーを評価しないといけないというのが、今日の日本の文化状況です。

作品を見て多くの女性たちが共感して笑ってくれたり、分かる分かると言って話しこんでくれたりするのだそうです。
男性は、一歩下がってみるか、ポルノ扱いをして、それにしても今一つ卑猥さがないなあと言ったりするようです。(彼女の言葉の意訳ですので、文言の責任は私にあります。)

ある高齢の男性が「勃起したペニスは描かないのか?」などと質問していました。
「私自身の内面、意識を描いているので、そう言う限りでペニスも描いていますが・・・。」という彼女に答えの意味をなかなか理解されない様子でした。

女性の裸体は彼女自身の隠喩であり、背景は社会の隠喩。
先ほど引用した「展覧会の内容」という文章の初めで、彼女はこう書いています。
「これまで様々な作家が、女性のヌードをそれぞれ思い思いの美の形で表現してきた。
ギリシャ神話の女神のような神秘的なヌード、個人的な視点でのヌード、装飾としてのヌード…何の疑いも無くヌードを美の象徴として用いてきた。
しかし実際の女性の身体が、その様な美しいものとは私には思えない。それらのヌードは、男性目線の男性が理想とする男性優位の幻想の女性像である。そこには女性の目線は全く入れられていない。
また私たちは、現実社会でもこの様な幻想を押し付けられている。誰もが、あるいは私自身も、知らない間にそれが当たり前だと信じ、また別の同性に、異性に、幻想を押し付ける。
私の作品の裸の女性は、私がイメージする女性の身体、ネイキッドとしての裸体である。
世の中が思い描いている女性の裸体と比較すると、かなり醜く滑稽な姿に見えるだろう。」と。

私より先に、彼女の旧知の青年が来ていて話されていましたが、同世代に、彼女の活動を理解する人たちがいるということを力強く感じました。

今日の京都盆地は、風が少し冷たいですがよく晴れています。
もう10年なんですね。あの年、私は旧職最後の年でした。たまたま出張先にいて広いフロアによそからも出張してきた大勢といくつものテーブルを囲んで仕事をしていました。仕事は流れがいったん中断した時でした。別の場所での管理職の仕事が進まないと、我々の仕事も進まないという状態で、皆がしばしくつろいでいるときでした。当時すでにタブレット型コンピューターを持っている同僚がいて、地震と津波の情報が飛び込んできました。そのタブレットに津波の状況がまざまざと写され東電の原発事故も伝えられました。その同僚と、「これは大変な事態だ。関東に縁者のいるものはすぐに帰宅して何ができるか考えた方がいいのでは・・・。」と話して、仕事の統括者や管理職に、既に大方の仕事は片付いているのだから、人員を必要最小限に絞って、帰宅を望むものは返したらどうかと進言したのです。しかし、このまま続行するとの返事。そして100人を超える同僚たちも、動揺することなく?あわてず騒がず?歓談を続けていました。
原発事故の深刻さを思えば東京を含んだ関東、東北地方に深刻な影響が出るだろうと考えた私たちは、周囲の反応を見て慄然としていました。私の息子や若い友人たちは東京にいました。大学時代の旧友は東京にも埼玉にも茨城にいました。
確かにこんなに離れたところでは何もすることはできないし、眼前の仕事を粛々とするというのが大人の態度なのかなとも思います。ですが原発事故に対するこの程度の、いやダルとも言っていいこの反応は如何に原発の安全神話が浸透してしまっているのかということを示しているのではないかと思いました。現実に起こっていることと同様に、このこと自体にも背筋が寒くなる思いでした。そのタブレットを持つ同僚とともに、他の多くの人の鈍感さに青ざめていました。
その意識は事故後の政府の対応に対する反応にも通じていると思いました。
今になって震災復興は道半ばですし、原発事故の処理はまだ初発でしかないような状況です。
それでもオリンピックをやるだとか、リニア新幹線を通すだとか、カジノで景気回復だとかいうことに湯水のように税金を使える神経と、先述のあわてず騒がない「大人の?」と反応とが繋がっていると私は思っているのです。
- 2021/03/07(日) 00:00:03|
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