私が向こう岸を下っていくときにこちら側でが若い男性がサックスをひいていました。
ずっと下って帰ってきたのですが、ここに来る前に外国の若者が小さな縦笛を吹いているのを見かけました。そして三人お若い女性たちがマンドリンを練習していました。多分学生のサークルでしょう。この人の背後には・・・・名前はよく知りませんが・・・電子サックスを吹いている男性がいます。
向こう岸では若い女性がバイオリンを弾いています。 あちこちに芽を出した蕗の薹みたいです。
緊急事態宣言が解かれたからでしょうか。それとも春だからでしょうか。

左利きで何かをしている人を見るととても器用なんじゃないかと思うこの先入観はどこから来ているのでしょうね。

私が目を止めたわけは、その左利きという点が一つです。
ギターの弦はどうなっているんだろうか、と。 そもそも左利き用のギターなんだそうで、無論上が低音用の太い減になっているわけで、右利き用のを左に抱えているわけではないそうです。

それにもうひとつ目を止めた理由があって、それはこの人のトータルファッションです。帽子から靴まで、いやギターのケースまで茶系で統一です。 勿論、ギターもです。 濃い明るいの変化もつけて。
楽しんでるなあ、と。

私も帽子から上下の服から靴まで紺で統一しています!!
が、それは極安物の防寒着だからというだけで。 こういうところで転がって撮ることもありますから、汚れてもいいものを・・・と一応の言い訳をした服装です。

学生時代にはサークルでギターを弾いていたんだけれど卒業しても時々こうして楽しんでいるんだそうです。

京都市と京都府警との間で「勾留した際に生活保護の支給を止めるように京都府警から京都市に通知する制度」が導入される旨の報道がされ、協定の締結式まで行われる様子も報じられました。生活程を受けている者が勾留されると「必要な食事や衣類、日用品が公費で支給されるために「「二重取り」を防ぐのが趣旨だと報道されています。
この制度を導入した最初の例が大阪だそうですが、さもありなんと思います。
しかし、なぜそれを京都市が追随するのか、決して誇らしいこととは思えません。
まず、第一に勾留中の支給と生活保護支給とは質も量も明らかに違います。食べて着て寝ているのだから生活保護支給はいらないということがそもそも間違っていると思います。生活保護は憲法25条に基づいて「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の保障として行われるべきで、勾留時の生活とイコールであっていいはずがありません。まして現在の日本の警察での勾留や刑務所での生活は人権の観点から大いに問題があると指摘されているのです。
「二重取り」という言い方自体に、生活保護受給者が悪意をもって「二重取りしている」「うまくやっている」というイメージを拡散する意図がありありとしていまます。先の国会で生活保護受給に対して、政府の姿勢が問われていましたが、京都市においてもこれを国民の権利であり、行政の保障義務であるという風に考えることが決定的に不足していることを明白に示していると思いました。少なくとも「二重取り」ではなくて「二重支給」というべきだったでしょう。
そして、勾留されると京都府警は自動的に京都市に通知するけれども、勾留が解除された後は、京都府警が自動的に、速やかに通知するのではなくて勾留された本人が自主申告しなくてはならないなどというのです。ただただ支給を切り詰めたい、一円でも少なく支出したいという、人権保障より財政が大事という京都市長の姿勢が露骨に出ています。
新型コロナ対策に関しては京都市長が自ら積極的に対策についての市民の疑問や不安に対して説明し、現状を伝え、対策、施策について周知して、呼びかけをするということが、ほとんど印象に残っていません。それなのに生活保護世帯への支給は鐚一文余計に支給しないという姿勢は明確に示しました。こんなことのために調印式をやるなどというのはその神経を疑います。京都が大阪並みに生活保護世帯に冷たい政治をしているのだということを、それを他市町村に先駆けているということを示して何がうれしいのでしょうか。
生活保護世帯の人が犯罪に手をそめてしまったならば、なぜそういう事態に立ち至ったのかを調査し、自治体の首長として生活保護の実情に問題はないのか、何か支援することはできなかったのだろうかと思案してしかるべきでしょう。わたしはそう思います。
とても元教育者であったとは思えない仕方だと思います。
調印式での市長の笑顔を見てゾッとしました。
(因みにこの文書は京都市に送信しました。)
- 2021/03/03(水) 00:00:02|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0